広報誌あゆみ 2015年3月号
バリー・ケンズ 神父
1504年、イタリアの大理石の山があるカッラーラ(Carrara)の石屋さんの話です。その石屋さんは、ある彫刻家に大理石の大きな固まりをだして売ろうと思いました。けれども、その彫刻家はその大理石に傷を見つけたので断りました。
次に石屋さんは、同じものを別の彫刻家に見せました。この彫刻家の名前はミケランジェロでした。ミケランジェロは傷を見つけましたが、かれは、その傷を利用して、その固まりの美しさの可能性を想像し、石屋から大理石を買いました。彼は、その傷のある大理石を使って有名な「ダビデの像」の大芸術品を彫りました。今でもその像はイタリアのフィレンツェの博物館で見ることができます。

神様は私たちの心の中に同じようなわざを行います。神様は私たちの心の、また弱さをよく知っておられます。けれども、いつでも人間の可能性を信じて立派な人間になるように望んでおられます。その傷、その弱さを通じてイエス様の力を味合うことができます。父なる神様は子供である私たちの強い点も弱い点も良く知って、なおかつ私たちをありのままに受け入れてくださいます。神の愛は私たちに対する無条件の愛です。この愛を受け入れる勇気があるでしょうか、これこそ四旬節のチャレンジです。四旬節のために、このチャレンジある質問を自分に向かって聞きましょう。
第1 私は自分の弱さを認めるでしょうか。私はありのまま自分を受け入れるでしょうか。
この質問は、いつも四旬節のはじめのテーマです。またキリスト講座 (自分との出会い) のテーマでもあります。
第2 私は神の愛の深さを充分に理解しているでしょうか。この愛の深さは四旬節の終わりの方のテーマです。イエス様は私たちを深く愛しておられて、私たちの救いを勝ち得るために、ご自分の命を十字架上に捧げました。
第3 私たちはその愛に応えているでしょうか。信頼を通して、祈りを通して。
第4 私たちはその愛の暖かさを、他人と分かち合うでしょうか。
この四つはチャレンジのある質問だと思います。チャレンジ、挑戦を通していつも心が若くなります。心の老人になることは、チャレンジから逃げることです。四旬節の間にチャレンジに応えて心の上で若くなりましょう。
主の平和 皆さんに、主の平和がありますように
自分のことですが、私は具体的なイメージを通して物事を考えます。従って、神学校での最初の二年間、哲学を勉強した時、私にとって非常に苦しい二年間でした。何故なら、哲学は抽象的な考え方の概念そのものだからです。
私の能力では、哲学は非常につかみにくいものでした。けれども、同級生の中には哲学がたのしくて、広いビジョンが開かれたと喜んでいる人もいました。本当に人によって違います。
神様は、人間をワンパタンにお作りになりませんでした。性格も、考え方も、才能も、面白く考えれば指の指紋も違います。私は、このことに気付いて以来、自分の才能とを比較することをやめ、神様に自分のユニークな性格を感謝して平和を感じるようになりました。お陰で、今私は「平和」を考える時、具体的なイメージを描くことができます。
例えば、私は聖書の中のガリラヤ湖の嵐の場面 ( マタイ 14の22~23 ) が大好きです。その湖の嵐は戦争、争い、葛藤、心の悩み、苦しみの状態のシンボルです。ペトロと弟子たちは恐れて、不安で一杯でした。その聖書時代の言葉が出てきました。「安心しなさい。恐れるな。何故なら、私はあなたと共にいるからだ」イエスがその縦揺れの船に乗って、嵐に向かって「静まれ」と命令すると、高い波は凪に変わり、平和になりました。イエスは、現代の私達にも、心の嵐に向かって同じような平和を与えて下さいます。聖歌のように、「嵐の日波たける湖で、弟子たちを諭された。力のみ言葉を、私にも聞かせて下さい」
イエスよ、世界にも、日本にも、私達の共同体の中にも、近所、学校、職場、家庭の上にも、個人の心の中にも、あなたの平和を豊かに与えてください。また、イエスよ、私達があなたの平和の道具となるように、助け導いてください。
私は、共同体の司祭として、皆さんがそのイエスからの平和を味わうように祈ります。
主の平和




