父なる神の愛

広報誌あゆみ 2015年11月号

私のニュージーランドの高校時代の同級生の話をしたいと思います。
その同級生は、お父さんのサインを上手に偽証して、偽の小切手を作って銀行から大金を引き出しました。そのお金を持って、ニュージーランドから遠いオーストラリアのシドニーまでにげました。シドニーで競馬のジョッキーになりました。最初は若くさっそうとジョッキーの仕事に励んでいましたが、だんだんビールをのんだり、年をとって、体重も増え、ジョッキーにはむかなくなり、仕事をやめてしまいました。その後は賭博に熱中したり、居酒屋にいりびたったりして、毎日の生活を送ったので、お父さんから盗んだお金をほとんど使い果たしてしまいました。酔っ払っては仲間と喧嘩して刑務所に入ったりしているうちに住むところもなくなり、夜公園のベンチで寝たりしていました。

ある夜、雨がひどく降ってきたので、教会の聖堂の中に逃げました。逃げ込んだ聖堂のベンチのところに、一枚の祈りのカードがあるのに気が付きました。同級生は心も体も疲れていたけれども、なんとなくそのカードをとりあげ、その祈りの文を読みました。

と書かれていました。この文を読んだとき、同級生の心の中に大きな動きがありました。それは前のニュージーランドの教会学校での教えや、私も一緒にやった放蕩息子の聖書劇を思いだしたのでした。
同級生は自分の生活を変えようと、自分の心と神様に誓いました。本当に大きな心でした。同時に同級生の心の中に大きな平安を感じました。
回心してから一年たって、同級生はニュージーランド帰ってお父さんの家の玄関のベルを押しました。お父さんが出て来て、何もいわないで、息子の姿をじっと見つめました。しばらくして、長年の息子にたいする反感、恨みの言葉を矢のように息子にあびせました。火山の爆発と同じように恐ろしい怒りからの声で、お前は家の名を汚したものだ、どんなに家族のものがおまえのことでくるしんだかわからない、お前はこの家に入る資格はない。お前は家の名をなのらないでほしい。私たちの前から消えて欲しい。と言って玄関のドアを大きな音を立てて、ガチャンと閉めてしまいました。このようなお父さんの態度は、日本、ニュージーランド、世界のどの国でも普通のお父さんの姿だと思いますし、また、イエズの時代のお父さんの態度も同じだと思います。

聖書にでてくるイエス様の放蕩息子の話は、父である神様の姿を描いているもので、普通の父親の姿を表わしているものではありません。父なる神様はどんな事件(この同級生のような、また私達が顔を背ける事件でも)が起きても私たちに対して暖かいもてなし、許しを与えてくださる方です。
父なる神様の特徴は哀れみと慈しみなのです。

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