あゆみ 2016年1月
バリー・ケンズ神父
あけましておめでとうございます
平成28年が皆さんにとって神様からの恵みの年になりますようにお祈りいたします。
カトリック教会では、教皇フランシスコが今年 (2015年12月8日~2016年11月20日) を「いつくしみの特別聖年」と宣言しました。
先に「聖年」という習慣を説明します。聖年は聖書に基づいている習慣です。

旧約聖書 (レビ記25・8~14) イスラエルの民は50年ごとに聖なる年を祝いました。昔、聖年の間は過ぎ去った50年を反省して神様に感謝をささげました。
失敗を認めて新たに神様の道をもっともっと徹底的に歩むように決心しました。
聖年の特別な雰囲気は「ゆるし」なのです。
それは、神様からの「ゆるし」、人と人との「ゆるし」です。
旧約時代の聖年のはじまりとして神殿から大きな角笛を吹きました。
新約時代では角笛を吹く代わりに教皇様がローマのペトロ大聖堂の特別な扉を開きます。2015年12月8日教皇フランシスコは、その扉を開きました。そして梅村司教様も山手の大聖堂の扉を開きました。意味は、今年特別な運動の中で心の扉を開いてイエスの道をもっともっと忠実に歩みましょう! 扉を開くことが一年の旅路のはじまりを意味します。
前回の聖年は2000年だったので次の予定は2050年ですが、今年の聖年は例外ですから「特別聖年」といいます。教皇フランシスコは、この聖年のため皆さんに「イエス・キリスト父のいつくしみのみ顔」という手紙を出しました。
その手紙の最初の言葉は「イエス・キリストは、御父のいつくしみのみ顔です。ナザレのイエスは、そのことばと行い、そして全人格を通して、神のいつくしみを明らかになさいます」
つまり、私たちは聖書を開いてイエスに出会うと神様ご自身に出会えるということです。
イエスのいつくしみ深い心は父なる神様の現代の私たちに対するいつくしみに満ちた心です。
待降節の黙想会の時、教皇様の手紙からイエスのいつくしみの例を考えて祈りました。たとえば、「ナインのやもめ」「マタイの呼びかけ」など、今そのうえもう一つの例を考えて祈りましょう。
福音の中でイエスの後一番詳しい人物はペトロです。私はペトロが大好きです、信仰の道の励ましになります。ペトロは聖書の中で私たちと同じ弱さと失敗だらけです。ペトロの性格は非常に衝動的です
イエス様は、ペトロの弱さや失敗だらけにもかかわらず12人の弟子の頭として選びました。聖書の中でペトロは、ある時は頑固、時々衝動的、またある時は自分の名誉を考えたり、他人と比較して自分が偉いと思った。
彼は他の11人の弟子よりも自分が勇気のある者、忠実な者だと思っていた
最後の晩餐でペトロは言いました「イエスよ、他の11人は裏切り者になるかもしれませんが私は決して裏切りません、死まであなたに忠実に従います」と。
けれど、その約3時間あと兵隊たちがイエスを捕えられるとペトロは逃げてしまいました。そのあと大祭司の屋敷の中庭に入り焚火にあたっていると女中や兵隊たちにイエスの仲間だと言われると3回「私はイエスを知らない」などと強く否定した。ちょうどその時、「ペトロの前をイエスが犯罪人のように縄で縛られ連れて行かれました。
聖書に書いてありますが「主は振り向いてペトロ見つめられた。」(ルカ22・61)

皆さん、イエスのその時の顔を心の中で描いてみてください。失敗したペトロのためにいつくしみに満ちた顔です。イエスはペトロの人間的な弱さをよく理解していました。
これは、イエス様のいつくしみです。そして復活したあと3回の否定のかわりに3回「わたしを愛しているか?」と言われた。それは、イエスのいつくしみとゆるしの模範です。結局、それがペトロの赦しの秘跡になりました。
皆さん、現代の私たちも、まったく同じイエスのいつくしみをあじわうことができます。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブライへの手紙13・8)
今年こそ聖書を開いて、そのいつくしみ深いイエスにもっともっと深く出会いましょう !