広報誌あゆみ 2016年4月号
バリー・ケンズ
ご復活おめでとうございます。
このお話は現代のたとえ話です。

ある司祭が病気のおばあさんの家を訪問しました。部屋に入るとベッドの前に椅子がありました。司祭はその椅子が自分のために用意されたのだと思い、「ありがとうございます。」とお礼を言いました。しかしおばあさんは、「その椅子はいつもそこに置いてあります。」と言いました。司祭はこのおばあさんには自分の娘を除いて、あまりお客様が来ないことを知っていたので、不思議そうな顔をしました。その様子を見て、おばあさんは次のように話してくれました。
その椅子には長いエピソードがあります。私はずっと長い間祈りたい気持ちはあったのですが、祈り方が分かりませんでした。祈りについての話を沢山伺っても、本を読んでもなかなかピンときませんでした。丁度10年前に一番親しい友達にその事について相談したのですが、その時の彼女の答えを今も良く覚えています。
「ねえ、よし子さん、お祈りと言うのは簡単に言えば友達イエス様との親しい話し合いなのです。椅子に腰掛けてから、自分の前にもうひとつの椅子を置いて、想像して下さい。イエス様はあなたの前の椅子に腰掛けて下さっているのです。だってイエス様は《わたしはあなたと共にいる》とおっしゃって下さっているからこれは真実なのです。あなたと私が親しくお話をしているように、イエス様とお話して下さい。」
私はそのときから10年間毎日イエス様と親しく話し合いました。ですから決して寂しくなかったし、そのお蔭でいつも励ましと勇気を頂きました。
司祭の訪問から2週間後、そのおばあさんの娘からの電話でおばあさんが亡くなったと告げられました。司祭が「平和のうちに亡くなられましたか?」と尋ねると、娘は泣きながら「3時ごろ買い物に出かけようとしたら、母が私を抱いて、ありがとう、私はあなたを愛している、と言ってくれました。1時間後に帰ってみると、母はもう亡くなっていました。」不思議なことにおばあさんは手を伸ばして、いつもベッドの前においてある椅子に手を置いて亡くなっていました。顔には穏やかな微笑が浮かんでいました。

司祭をはじめとして、皆このおばあさんのように死を迎えられたら幸せです。
このお話はイエスの復活の説明にもつながると思います。
皆さん、復活のお蔭でイエスは私達一人ひとりの側にいつも居て下さいます。祈りましょう。