助け主である精霊よ来て下さい

あゆみ 2016年5月号

「聖書を読んで我々が深い謎として受けとることの一つは弱虫だった弟子たちがなぜやがて強き使徒になれたのかということである。マルコによればイエス逮捕の時は「ことごとく師をおきて皆、逃げさった」ような弱虫の彼等が後にイスラエルのみならず、多くの国々に渡り「あまねく教えを宣べるようになったのか。…
要するに彼等は我々と同じ連中だったのだ。彼等は我々と同じように、よき話を聞こうという気持ちは多少あっても、信念弱く、肉体的恐怖のためには師も犠牲にする卑怯な性格があり、そのくせ自惚れと世俗的野心のみ強いという平均的人間だったのである。…
弱者だった弟子たちはイエスの死後、なぜ強い信仰を得たか。」遠藤周作「イエスの生涯」より

本当に謎だ?!
その弟子たちの臆病がどのようにして勇気に変化したのでしょうか?
一言でいえば、聖霊の助けのおかげです。
イエスの受難の時に弟子たちは皆逃げました。頭ペトロは、イエスを3回否定し他の弟子たちも恐れと疑いでいっぱいでした。
イエスは昇天の時、イエスの証人になる使命を弟子たちにお与えになりました。
しかし弟子たちは自分の弱い信仰、自分でイエスの教えを他の人に伝えること、忠実にイエスの教えられた道を自分の力だけで歩むことがどれだけ難しいことかしみじみ感じました。
弟子たちは自分たちの弱さを心から認め、マリア様と一緒にこのように祈りました。
「イエスよ、あなたは私たちの助け主である聖霊をおくってくださることを約束なさいました。どうか、その聖霊を私たち何もできない者の上に送ってください」と祈りました。
そして9日間の祈りが終わって聖霊が弟子たちの上にくだってこられました。
その聖霊のおかげで弟子たちの臆病は消え聖霊から勇気と言葉をもらって公に皆さんに復活されているイエスの道を宣言しました。
(使徒言行録2・1~41節まで)

皆さんこれからのことは、ただ昔の聖書の中の有名人のためだけでなく、その聖霊と同じ助けと力は現代の私たちも弟子たちと同じように自分の人間的な力だけで信者生活の道をなかなか歩むことができないと認めましょう。その弱さを認めてから祈りましょう。「聖意来てください」イエスは天国で父なる
神様にとりなし祈って私たちの上に聖霊をおくってくださる。
「天の父は求める者に聖窟を与えてくださる」(ルカ11・13)
聖パウロは私たちに次のように言います。「イエスは私の主である。その根本的な信仰を心から言うために聖霊の助けは絶対に必要です」(コリントー12・3)
また私たちは優しい父である神様「アッバ」を心から知るために聖霊の光が絶対に必要です。(ローマ8.16)(ガラテヤ4・6)
また、パウロは次のように言いました。
「聖霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5・22)

これは信仰生活の関係です。
けれど、聖書の考え方、もちろんイエス様の考え方、信仰生活、これらは毎日の平凡な出来事と別々ではなく一つです。
そのために自分の生活の使命を果たすために聖霊を頼んでその助けに頼りましょう。
例えば何か選択するとき、また仕事場で、学校の勉強で、主婦の仕事で、リタイア後の生活で聖霊の助けと導きを頼んで特に苦しみに出会ったら慰め主である聖霊を頼みましょう。

ようするに
1 認めましょう。自分の人間的な弱さ。
2 頼みましょう。聖霊来てください。
3 頼りましょう。


最後にイギリスの枢機卿ステファノ・ラグトーンが作った聖歌「聖霊の読唱」

聖霊来てください。あなたの光の輝きで、わたしたちを照らしてください。
優しい心の友、さわやかな憩い、揺るぐことのない拠りどころ
苦しむ時の励まし、暑さに安らい、憂いの時の慰め
あなたの助けがなければ、すべてははかなく、消えて行き誰も清く生きては行かない。
あなたは私の支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく喜ぶことが出来ますように。

Recent articles

イエスは復活して今生きておられます

あゆみ 2025年 5月号 バリー・ケンズ神父 イエスの受難は私たちのため励ましになります。イエ …

四旬節

あゆみ 2025年 4月号 バリー・ケンズ神父 今年は3月12日の灰の水曜日から4月22日の復活 …

希望の巡礼者

あゆみ 2025年 3月号 バリー・ケンズ神父 希望の巡礼者の道の『希望』は神様からの贈り物です …

聖年

あゆみ 2025年2月号 バリー・ケンズ神父 今年2025年は教会で聖年と呼びます。カトリック教 …