広報誌あゆみ 2016年6月号
バリー・ケンズ 神父
私の母方の祖父は私が7歳の時、亡くなりましたが、77年たった今も、その温かな思い出は私の心の中に生きています。祖父は、八の字ヒゲを生やした親切な人で、いつも孫たちのために時間を過ごし、色々な珍しいことを話してくれました。
ある日、祖父は私たち孫5人を、サーカスを見に連れて行ってくれました。1935年で、私はその時4歳でした。好奇心旺盛な時でしたから、質問を次から次へとしていました。サーカス小屋のオリの中にはライオンと調教師、象は大きなボールの上に上手に乗ってバランスを取っていました。

中でも一番印象的だったのは、小屋の天井のずっと上で空中ブランコをしている2人の曲芸師でした。天井からぶら下がった小さなブランコに乗って、とても高いところで大きく揺ているので、こわくて胸がどきどきしていました。
突然、右のブランコの女性が大きく身体を振って手を離しました。「大変だ! 落ちる。」と思いました。すると、男の曲芸師が左から揺れてきて、空中でお互い手をしっかり握りあい、無事に反対側に行くことができました。「よかった」と安心しました。
私は「おじいちゃん、空中の女性は、こわくて不安でいっぱいでしょう」とたずねまた。その時の祖父の答えは、今も私の耳に残っています。「バリー、彼女は彼を心から信頼しているからできるのだよ。」
皆さん、私達も、人生の中で神を信頼するよう呼びかけをいただいていると思います。神であるイエス様を心から信頼することです。
私達が困難に面した時、イエス様はいつも私たちの手を握ってくださいます。イエス様は、「恐れるな、私はあなたとともにいる」とおっしゃいます。
私達は御聖体をいただく時、イエス様に全幅の信頼をあらわします。
イエス様は御聖体の中で私達を信頼して、自分自身を私達に与えてくださいます。
そしてイエス様を信頼するようにおっしゃいます。
御聖体を通してイエス様はもう一度はっきり私達におっしゃいます。
「恐れるな、私はあなたとともにいる。」
イエス様はいつも私たちの手を握ってくださいます。

人間の持つ能力とは・・・
ハヤット 神父
北海道に住む18歳の少年が、最近、次のような手紙を新聞社宛に出した。
「僕は、今年の春大学受験に失敗した学生の一人です。今は予備校に通って、一生懸命勉強しています。一般の人たちは、僕のような学生のことを、恥ずかしくて人の顔がまともに見られない哀れな落伍者だと思っているようです。」
「しかし、それは間違いです。僕は予備校の寮に住んでいますが、たくさんの友だちができました。彼らは明るく快活で、希望にあふれ、陽気で勉強家そして常に未来を見つめています。」
このような言葉を聞くと、さわやかな気持ちがする。この青年の大学への入学は遅れたが、彼が人生の落伍者になることはないであろう。彼の前には、大成功のうちに一回で合格した学生が持つよりも、もっと多くの可能性があるかもしれない。
今から約200年前、イタリアのある夫婦は、息子に言葉を教えてもだめだとわかって絶望に沈んだ。子供は四つになるのに、まだ話せないのである。両親は子供の知能程度が低いのだと思った。しかし、時期が来ると少年は知的能力を現すようになり、やがては、科学の分野で偉大な貢献をした。彼はアレッサンドロ ボルタである。彼の名前は、電気の単位を示す言葉として、世界中の主な国語の中に取り入れられた。ボルトがそれである。
人間の持つ、何かをやりとげる能力というものは、人によって違う。すべての人の能力が同じ早さで、また同じ方法で伸ばされるべきだと考えるのは、間違いだと思う。
「心のともしび」から 掲載の許可を得ています
