あゆみ 2017年2月
バリー・ケンズ神父
これから現代の日本のたとえ話をつくって伝えたいと思います。
あるとき、日本のあるところで大きな洪水がありました。豪雨のため打ち寄せる川の流れで堤防は決壊し、その水は、太郎君の家の床下まで入り込みました。
その時、友達がゴムボートに乗って太郎君のところに来て「どうぞ乗ってください、安全な所に逃げましょう」と言いました。すると太郎君は「いいえ、私は神様を信頼し祈っていますから天からの救いが助けに来られます」と答えました。「せっかく来たのに・・・」

けれども洪水は、もっと酷くなって1階は水でいっぱいになり、太郎君は2階に避難しました。
その時、消防団がモーターボートで来て「どうぞ、乗ってください」と言いました。太郎君は、また答えました
「いいえ、私は祈りました。神様は私を救いに来ます」
「せっかく来たのに・・・」

けれども2階も水がいっぱいになりました。すると太郎君は屋根に上り祈りながら座っていました。今度は自衛隊のヘリコプターが来て救命ロープを下して「どうぞ、このロープを腕の下に入れてください私たちは、あなたを救います」
でも太郎君は「いいえ、あなた方の助けは要りません、神様は私を救います」3回目も人間の助けを断りました。
そして太郎君は、とうとう溺れ死んでしまいました。

太郎君は天の門に着くと激怒しながら「神様、せっかくあなたを信頼して祈っていたのに、あなたは私に何も救いの手を送りませんでした。私の声を聴きませんでしたか?」
それに対して神様は深い意味の答をしました。「友である太郎君、わたしは3回あなたに助けをおくりました。しかし3回とも私の助けを断りました」
今、このたとえ話の教訓について考えましょう。
私たちは、苦しいときとか危険が迫るときに神様の助けを熱心に祈ります。実は神様の助けは人間を介してこられます。私たちは、その人間の助けを喜んで感謝をもって受けいれているでしょうか? また、その人間に対しても神様に対しても感謝を与えているでしょうか? そして、困っている人、苦しんでいる人、弱い人、危険の中にいる人に救いの手を差し伸べているでしょうか?
私たちは、この世でイエス様の平和の道具になる使命をもっています。
例えばある時、病気の人に励ましの言葉をかけているでしょうか、弱っている人に力づけの言葉をかけているでしょうか、もしくは、その人たちの手を何も言わずに優しく握っているでしょうか、私たちは、そのようにしてイエス様の平和の道具になるのです。
イエス様は、次のように言われます「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と。ときどき、イエス様がそばにいることを友達をとおして示されます。謙遜に感謝をもって、その助けを受け入れましょう。
そして、その優しい手助けを喜びをもって他人に与えましょう。