広報誌あゆみ 2017年7月号
司祭 バリー・ケンズ

ある夜、おじいさんと4歳になる孫娘が手をつないでゆっくりと散歩していました。
その日は、雲もなく月と星がはっきりと見えるとても美しい夜空でした。
女の子は、その美しい夜空を仰ぎみて、おじいさんに尊敬に満ちた声で言いました。「おじいちゃん、見てこの素晴らしい景色、これは天国の外側だけですね、天国の中庭は、もっと素晴らしいのでしょうね」
その時、おじいさんは、孫の喜びに満ちた顔を見て深く考えさせられた神秘的な経験になりました。
みなさん、今月は、わたしたちの天国について考えましょう。
神様は、わたしたちをおつくりになって、その創造は、わたしたちのはじまりです。
そして、父なる神様の家、天国に帰らなければなりません。結局、天国は、わたしたちの人生の旅路の目的地なのです。この天国とは、いったいどういうところなのでしょうか?
実は、聖書から垣間見ることだけですが、結局、信仰の事です。
「目が見えもせず、耳が聞こえもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちに準備された」(聖パウロの1 コリント 2-9)
けれども天国について聖書には、ある程度までの事が載っています。
たとえば
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときは、神様と顔と顔とを合わせてみることになる」(聖パウロ 1 コリント 13-12)
天国でわたしたちは、神様の顔と顔の親しい交わりの愛に入って、完全で終わりのない幸せに入ります。
「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。」(ヨハネの手紙 3-2)
「父である神様は、わたしの目から涙をすべて拭ってくださる」(ヨハネの黙示録 21-4) というのは、苦しみは、もう全然ありません。幸せだけです。
天国でわたしたちはどのような形でしょうか?
大事なことは、わたしたち一人一人が自分自身のアイデンティティーを持っています。
大きな固まりに入らない個人としています。
わたしたちの天国での姿は、イエスの御変容のようになります。と言うのは、栄光の中です。
「わたしたちの本国は天にあります。キリストは万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」
(フィリピ 3-20)
天国でわたしたちは、この世の親戚や友達などにもう一度会います。また、100%幸せですから例えばある人が再婚していても最初の奥さんと2番目の奥さんと摩擦がありません。
「天国では、めとることも嫁ぐこともなく天使のようになるのだ」(マルコ 12-25)
天国は、終わりがないから退屈になるでしょう、退屈は苦しみのある形です。しかし、天国は、苦しみがない幸せだけです。神様は、なんでもおできになられるから安心しましょう!
天国を説明するのに色々と具体的なイメージを使いますが、実は、全部シンボルばかりです。しかしそれでは足りない、もっともっと素晴らしい。
ですから、天国について信仰とイエス様に対する信頼が必要です。知っていることは、神様の愛に入ります。それは、人間の心を満たすものです。100%愛、100%平和、100%幸せ、100%安息。
イエス自身の言葉から、おもしろい点があります。イエス様は、わたしたち一人一人のために天国で特別なところを準備しています。わたしたち一人一人の指定席です。
「わたしの父の家には、住む所がたくさんある。
わたしは、あなたがたのために場所を用意しに行く。」(ヨハネ 14-2)
人生は、道のようです。目的地は、神の愛に満ちた家、天国です。
わたしたちは、父なる神様の子供だから死ぬことは、本当の意味で里帰りです。ひじょうに慰めと励ましになるのは、イエス様の御言葉です。
「私は道である」

わたしたちは、一人ぼっちで天国への道を歩みません、イエス様のカの上にわたしたち人間の力を合わせます。
イエス様は「わたしは、あなたがたと共にいる」と言って天国に無事に達するように共にいてくださる同伴者です。
天国は、なんと素晴らしいところでしょう!最後までイエス様に頼って頑張りましょう!