広報誌あゆみ 2018年3月号
司祭 バリー・ケンズ
去年の四旬節の「あゆみ」の記事では十字架の道行きの第3・7・9留についてイエスが十字架の重さで倒れた場面を考えました。そのメッセージは、イエスは、わたしたちと同じ人間的な弱さを体験なさいましたから、わたしたちが助けをいただくために大胆に近づきましょう、本当にイエスは、わたしたちの人生の同伴者であるという記事でした。
そして今月の「あゆみ」では十字架の道行きの第5留について考えましょう。その場面はイエスがキレネのシモンの助けを受ける興味深い説明があります。
兵士たちは、イエスを十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。(マルコ 15・16)
キレネとは、エルサレムから遠いアフリカのリビアの町です。シモンは、その田舎からエルサレムに来た巡礼者でした。そしてイエスの死刑場へ向かう行列に偶然通りかかっただけの傍観者でした。兵士たちは、イエスが十字架の重さで倒れ死刑場に着く前に死んでしまうと考えました。
厳しい占領軍の兵士たちは、偶然通りかかったシモンを選びイエスと一緒に無理やり十字架を担がせました。
聖書の言葉『無理に担がせた』がキーワードです。シモンの心の中に入りましょう。
次のような人間的な反応があったと思います。「どうして私を選んだのか? 別の人でも良いのに不公平だ!」恨みいっぱい。また「死刑の宣告を受けている人と恥ずかしい」
「別の用事があったのにこのような事は迷惑だ」彼の計画はめちゃめちゃになったようです。
シモンは、初め恨みと反抗の気持ちでいっぱいでしたが、イエスを助けながら一緒に十字架を担いでいる間にイエスとの絆を体験し、それによって心の中で不思議な変化がありました。イエスとの一致を感じ一生の道の方向が変わったのです。というのは、彼と二人の息子の名前が福音に入ってイエスの弟子になったのです。
2000年後、このイエスとシモンの場面は、わたしたちにどういうメッセージがあるでしょうか。わたしたちは、ある時シモンと同じように偶然な出来事が起こります。わたしたちも色々な計画があって偶然に何かが起こって、その夢が消えてしまう。
例えばある時、朝一日の計画をつくっていても急なお客様とか急に頼まれ事が入って、その予定がめちゃめちゃになります。
ある時は、一日の事だけでなくこれからの一生の計画も変わることになります。
もし、その偶然の出来事によってイエスと一致したら新しい使命とそれを果たすための力をいただくことが出来ます。たとえば高齢の両親の世話や病気の子供が居ることで自分の人生計画に変化があります。しかし、イエスと一致していたら、その使命は負いやすくなります。
またある時、他人から頼まれごとがあって自分の都合に合わなくてもイエスと一致していたら、その煩わしいと思う頼まれごとも意味のあるものになります。
またある時、交通事故の現場に居合わせたらシモンのように手伝いましょう! みなさん、そのように人を助けると実はイエス御自身を助けることになります。イエスは次のように言われる。