司祭 バリー・ケンズ
5月20日は、聖霊降臨の大祝日です。
今月のあゆみは、聖霊について考えてみましょう。
だいぶ前に「忘れられた聖霊」というおもしろい表題の本を読みました。それは、考えさせられる本でした。
わたしたち信者は、父である神様も御子イエスも具体的なイメージを考えて想像できますが、聖霊は純粋なので想像しにくいです。また、自分の事ですが私は聖霊のシンボルを鳩で表すのはあまり好きじゃない、なぜなら私の国ニュージーランドの原住民マオリ族にとって鳩は捕まえやすい弱いイメージだからです。
また、わたしが若い司祭の時、聖霊運動の祈りのグループにあずかりました。グループのメンバーと祈り方は尊敬しましたが、その祈り方は私の心にあまり響きませんでした。
それにもかかわらず今は聖霊の大ファンです。
ルカの福音と使徒言行録の中で聖霊がよく出てきます。たとえば、お告げの時マリアは神である聖霊のおかげで奇跡的に妊娠しました。御子イエスは聖霊のおかげでこの世にこられました。
ルカの書いた使徒言行録の中でイエスが天に上るとき弟子たちに聖霊をおくることを約束なさいました。また同じとき、行け行け地の果てまでと言ってわたしの証人になるようにと命じられました。弟子たちはイエスの具体的な姿が見えなくなってから非常に困りました。そしてこのように考えました・・・我々はイエスから与えられた使命をなかなか果たすことが出来ません、不可能です。弟子たちは、どうにもならない無力感でした。そのうえイエスの教えに反対するユダヤの長老たちの事を考えると深い怖れを感じました。
弟子たちは自分たちの弱さ、無力さ、臆病さを認めて2階の部屋にあがって戸に鍵をかけてマリア様と一緒に祈りました。
そして9日経つとイエスの約束された聖霊が下り弟子たちに新しい心を与えてくださいました。それまでの臆病さは朝露のように消えて、そのかわりに聖霊からの勇気もって部屋の戸の鍵を開けて外に出て行き大勢の人々にイエスの事を宣言しました。この弟子たちは無学の漁師たちでしたが上手な言葉でイエスの事を説明しました。
聖書に書いてあるように、「ユダヤの議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚きました(使徒言行録 4・13)」
その勇気と上手な話し方は、どこからきました? やっぱり聖霊なのです。
みなさん、神である聖霊のはたらきは2000年前のはたらきではなく、このペトロとヨハネという弟子たちのためだけでもなく、聖霊の助け、導き、慰め、力は、現代の平凡なわたしたちのためです。わたしたち信者は、堅信の秘跡を受けると聖霊の力とその聖霊の導きもいただきます。堅信の秘跡の影響は一生涯のものです。
私が聖霊の大ファンになったきっかけは、私はオーストラリアのコロンバン会の神学校で13年間教師をしていました。そこでの一つの責任は、助祭になった神学生の説教の指導を毎週することでした。
そんなあるとき、私はシドニーに住むお母さんの助けを頼みました。彼女は家庭の主婦であると同時にわりと有名な女優さんでした。彼女はこのように話しました「私は10年以上も芝居の経験がありますが今でも舞台の上に立つと非常に緊張して胸がドキドキしています。私は、その緊張を感じて神様からのメッセージとして受け入れます。そのメッセージとは、『聖霊の助けと力と言葉の導きを頼んでそれに頼りなさい。』これは私のため勇気と励ましと安心の源なのです」私は彼女の素晴らしい話を聴いて心の中に響きがあった「あーなるほど!?」と。その日から聖霊の大ファンになりました。聖霊の助けは聖なる祈りのためはもちろん、けれどそれだけでなく日常の出来事のためです。お父さん、お母さんの使命を果たすため、家で、職場で、学校で聖霊の助け、カ、導きを頼みましょう。
最後に聖書から聖霊についての箇所があります。
- 同様に“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るかを知りませんが、”霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。(ローマの使徒への手紙 8・26)
- 聖霊の導きの下に祈りなさい。(ユダの手紙 1・20)
- あなたがたが子であることは、神が「アッパ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。(ガラテヤの使徒への手紙 4・6)
- 聖霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
- わたしたちは霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。(ガラテヤの使徒への手紙 5・22-25)
- あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。(テモテへの手紙二 1・14)
みなさん、わたしたちは堅信の秘跡をいただくと聖霊をいただきます。その秘跡の影響は一生涯はたらきます。祈りのためにも、日常生活の出来事のためにも聖霊の力、慰め、導きを頼みましょう。
最後に
「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように (ローマの使徒への手紙 15・13) 」
祈りましょう。




