司祭 バリー・ケンズ
私が若い司祭の時、教会委員会のあるメンバーがとても熱心でしたが非常に衝動的な人でした。彼は考えないで突然何かを言ったり、何かを行動したりしました。私にとって厄介な人でした。
あるときの委員会の後に委員長が「彼は聖ペトロのような衝動的な人ですね」と私に言いました。私は「なるほど?! 」と答えました。その経験のおかげで私はイエス様と聖ペトロと委員会のメンバーと自分自身ともっと深く親しくなりました。

私は中学校の時に堅信の秘跡を受けるために保護の聖人として聖ペトロを選びました。私は聖ペトロが何回も失敗して完璧な人間じゃなかったから好きでした。また、イエスはいつも弱いペトロをありのままに受け入れてくれました。
今日もイエスは弱いわたしたちをペトロと同じように取りあつかってくれます。
ペトロは結婚していました。彼は漁師の協同組合の頭のようでした。( 弟アンデレ、ヤコブ、ヨハネ 他に何人かといっしょの組合 )
ペトロのイエスに出会う前の名前はシモンでした。イエスに出会って「これからあなたの名前はペトロと呼ぶことにしよう」ペトロの意味は『岩』日本でいうと『岩男』ヘブライ語で『ケファ』ペトロはアンデレをとおして初めてイエスに出会いました。「わたしと一緒にイエスに出会いましょう」(ヨハネ1・41)
その出会いの後ガリラヤの湖の岸でイエスはペトロに「わたしに従いなさい」と呼びかけられた。
またペトロが12弟子の頭になることを決めました。

ペトロには2つの根本的な欠点がありました。それは衝動的な性格と自信過剰と言う欠点です。衝動的な例として聖書にいくつも書いてありますが、私はこの記事のために2つを選びました。ある真夜中、弟子たちは舟でガリラヤの湖を渡りました。13キロでした。イエスは舟の中に居なかった。急に大きな風が来て舟が危なかった。ちょうどその時、湖の上に光がさし弟子たちは恐れ「怖い幽霊だ」とすると光からイエスが現れ湖の上を歩いておられ「安心しなさい。わたしだ。」と言いました。衝動的なペトロは「イエスよ、あなただったら私も水の上を歩かせてください」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは最初何も考えないで舟から降りて水の上を1歩、2歩と歩いたけれど目をあげて高波を見た瞬間強い風を感じて沈みかけました「イエスよ、助けてください」と叫びました。イエスは優しく手を差し伸べてしっかり握ってペトロと一緒に舟に乗りました。イエスはペトロの弱い信仰を理解してありのままに受け入れました。そして、わたしたちに対しても同じ取りあつかいをしてくださいます。
もう1つの例は、ゲッセマネの庭の中でイエスの最後の夜、ユダヤの神殿の警察がイエスを捕えようとしたとき、ペトロは衝動的にある人の耳を刀で切り落としました。( 漁師として魚をさばくために刃物を使うのが上手だったでしょう )イエスは、その人の耳を癒してからペトロに刀を使わないように言いました。(ヨハネ18・6)
ペトロのもう1つの欠点は自信過剰でした。イエスの道を忠実に歩むために自分の人間的な力だけで充分だと思っていました。
例えば最後の晩餐でペトロは次のように言いました「イエスよ、この他の11人は、あなたを否定するでしょうが、わたしは決して否定しません。とんでもない。」けれど約3時間後ペトロは臆病で名誉と恐れに負けて3回「わたしはその人と全然関係ない」とイエスを否定しました。
イエスは、その否定を知って何をなさいましたか?
聖書に書いてあるようにイエスは振り向いてベトロをじっと見つめました。ペトロはイエスの理解に満ちた慈しみ深い顔を見て自分がまた失敗をしたこと認め激しく泣きました。(ルカ22・61)
復活後イエスはガリラヤの湖の岸で弟子たちのために朝食をつくりました。
その時イエスはペトロに3回「ペトロ、あなたは私を愛しているか」と尋ねました。ペトロは心の底から「イエスよ、わたしはあなたを愛している」と言いました。これはペトロの赦しの秘跡になりました。イエスはその時のペトロと現代の私たちの弱さをよく知っていて、いつも失敗した私達をありのままに受け入れてくださいます。この取り扱いは私達に回心の希望を与えてくださいます。
最後の晩餐でイエスはペトロに次のように言われました。
「ペトロ、あなたは失敗の経験があるからこそ、他人の失敗のために励ましになると思います」(ルカ22・31)
私たちも自分の弱さを認めるとき他の人の失敗を理解してその人を赦すことが出来ると思います。聖書の中でペトロの失敗だけではなく、ある時信仰深いこともあります。
例えばイエスが、ご聖体の教えを伝えた時、大勢の人がその教えをなかなか受け入れることが出来なくてイエスから離れてしまいました。
イエスはペトロに「あなたも離れるか?」と尋ねるとペトロは「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの種、あなたをおいて誰のところに行きましょう」(ヨハネ6・68)
私たちは各ごミサでご聖体を受ける前にペトロの信仰深い言葉を使います。復活後のイエスはペトロにこのように言われました「友、ペトロよ。あなたは若い時自由で平気であっちこっちへ行きました。けれど、あなたが年を取ってから色々な限界にぶつかります。ですから、あなたに改めて言う『わたしに従いなさい』」(ヨハネ21・18) 高齢の人のために非常に励ましになると思います。
イエスは、高齢の人の限界をよく理解して、いつも弱いわたしたちをありのままに受け入れてくださいます。
言い伝えによるとペトロは西暦67年、ネロ皇帝の迫害の中で殉教されました。彼は死刑の十字架を見てイエスと同じような死に方は自分のためにふさわしくないと思って十字架の上に逆さまにはり付けるように頼みました。
ペトロは欠点いっぱいでしたが、イエスはいつもありのままに受け入れてくださいました。
ペトロは、やっと無条件の愛にこたえました。
みなさん、ペトロとペトロに対するイエス様の取り扱いは、非常に励ましになると思います。
イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも (ヘブライ人への手紙13・8)




