待降節 希望の季節

「待降節」字のごとくイエスの降誕を待つ季節です。
今年は12月2日日曜日から12月24日月曜日まで、私たちはイエス様の降誕のために心の準備の季節です。待降節のキーワードは希望です。私たちはイエスの降誕を待ち望みます。希望と言う言葉は、いつも未来と関係する言葉です。心の準備として正直に自分にむかってこの質問をしましょう。

「わたしの未来はどうでしょうか?」もし自分の心の中で何かの不安を感じるなら、それは健康的な不安だと思います。イエスの道において希望と言う本当の意味が解ってくると思います。キリスト信者はイエスという土台の上に希望の心を築きます。神であるイエスは、わたしたち一人ひとりを深く愛していつも見守ってくださいます。またイエスはわたしたちの幸せをいつも望んでくださいます。イエスの目には、わたしたちがあいまいな固まりではなく一人ひとり大事な者、価高く貴い者なのです。その愛をはっきり示すために十字架の上でご自分の命を捧げ証明しました。またイエスは苦しみに打ち勝って復活なさいました。その生き方のおかげでイエスは今わたしたち一人ひとりのそばで人生の道を共に歩んでくださいます。
私たちは決して一人ではないのです。これこそ私たちの未来の人生に希望を与えます。私たちは深い暗闇に入っても、ひどい苦しみにぶつかっても、イエスは助けと勇気と力としていつもそばにおられその心の嵐の中でわたしたちを守ってくださいます。苦しみのどん底に陥ってもイエスはいっしょにその苦しみを担ってくださいます。それこそ私たちの希望なのです。神であるイエスはわたしたちの善い牧者です。イエスにむかって祈りましょう。

「神よ、たとえ死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23)
わたしたちはやはり人間だから、いつも苦しみにぶつかります。聖書ではそれを心の暗闇といいます。わたしたちは真っ暗闇に沈んでも心の荒廃を経験してもその状態の中でわたしたちのイエスは光である。ある時、小さな光と見えますが確かにイエス御自身です。
わたしたちは希望をもって心から叫びます。「イエスよ、来てください。わたしの上に光を照らしてください」

ノーベル賞作家の大江健三郎さんは長いインタビューの中で次のように言いました。

「戦争後すぐ、我々日本人は国が壊滅的な状態という大きな危機に直面しましたが、その状況の中でも未来に対して心に希望をもっていました。現代の日本人は経済的に恵まれていますが、その戦争後よりももっと大きな危機に直面しています。今の問題は未来に対して希望の無い状態なのです。」

(読売ニュース 1998年11月13日)

大江さんは挑戦に値する文章ですね。
今の社会はうわべだけきれいに見えると思います。その下には心の不安が満ちあふれていると思います。色々なアンケートでそのことを具体的に示しています。政治の世界、社会での問題、学校、家庭、また個人の心の中で抑えている不安がよくあると思います。時々、わたしたちはそれを認めないで抑えて逃げてしまうと思います。(私がそうです)

その不安、具体的に今、例えば貿易戦争がありますが 本当の戦う戦争になるでしょうか。
実にこの文章を書く1時間前に地震がありました。その南海トラフ地震ともの凄い津波は、これから30年間の間に起こるそうです。
ご両親は子供の将来について不安を抱いています。定年している人は将来のために貯金が足りるだろうか、年金受給者として大丈夫だろうか? また、現代の日本の青年は夢の無い人だそうです。また、他にも色々な不安。
このような恐れから逃げるためにわたしたちは上手に色々な手段を使います。
物質を中心に物を買います、お酒を飲む、テレビを長く観る、スマートフォンを手放さない、他にもいろんな薄っぺらな慰めごとを使います。
この待降節の間、正直に心の棚卸をしましょう。祈りの中でイエス様と一緒に自分の恐れ、不安、心配事に直面して認めましょう。そして大事なことは認めてから祈りの中で希望に満ちたイエスの足元に行きましょう。
イエスの優しい招き「疲れたもの、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28)
本当に優しいお招きです、応えましょう。

最後に大事な点です。この希望はイエス様からの無償の恵みです。自分の力でこのような希望をおこすことはできないのです。イエスからのまったくの贈り物です。ですから頼みましょう、もちろん、イエスと一緒に協力しましょう。また、イエスの希望の道具として自分の家庭で、そして友達などとわかち合いましょう。

神の計らいは限りなく 生涯わたしはその中に生きる

  1. 主は羊飼い、わたしは何も欠けることがない。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。(詩編 23)
  2. わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した猫のようなものである。(ヘブライ人への手紙 6・19)
  3. 信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。(ヘブライ人への手紙 11・1)
  4. わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。
    現に見えているものを誰がなお望むでしょうか。わたしたちは目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(ローマの信徒への手紙 8・24)
  5. 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。(ローマの信徒への手紙 12・12)
  6. 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。(ペトロの手紙 3・15)

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