司祭 バリー・ケンズ
四旬節・・・と読むとどんなイメージを感じますか?
暗い感じ? 義務的な感じ? または喜びと希望の感じ?
実は、四旬節の主なテーマは神様の愛と慈しみなのです。ですから楽しい季節です。
今年の四旬節は3月6日灰の水曜日から入ります。その日 (また次の日曜日も) 司祭は皆さんの額の上に灰を塗ります (その灰は去年の枝の主日の枝を焼いたもの) 灰を塗りながら司祭は大事な言葉を言います。『回心して福音を信じなさい』
簡単に説明すると回心するということは自分の生き方を反省して考え直すことです。
何を考えるでしょうか、一言で福音です。
福音と言いますと天から下ったイエスの喜ばしい知らせなのです。
この大事な知らせとは簡単に『神様の愛』です。具体的に神様は本当の私達をすべて知っておられて尚且つありのままの弱いわたしたちを受け入れてくださいます。それが無条件の愛です。式で塗られる灰は、わたしたちに考えさせるシンボルです、というのは今の人生は一時的な旅です。この人生の目的地はイエスの復活のおかげで天国の永遠の幸せの命です。
この四旬節の間、私は次のような行いを勧めます。
まず折りの雰囲気の中で鏡に映る自分の顔をはっきり、ゆっくり、長く見て考えましょう。特に自分の目、また鼻、口も、よくよく見てください。
鏡に映った自分の顔を好きですか? 他の人と比較していませんか?祈りの中で、そしてイエスとつながってイエスの意見を聴きましょう。

イエスは一人ひとりに次のように言われます
『○○、私はあなたの名前を呼ぶ、私はあなたを個人として愛しています。私イエスは、あなたと他の人を決して比しません、私はあなた自身をありのまま受け入れて愛しています。ぜひ私の愛をあじわってください、そして、そのあたたかい愛を他人とわかち合いましょう』
このイエスの励ましに満ちたメッセージは聖書の言葉に基づいています。このイエスからのメッセージは四旬節の主なテーマです。

四旬節の間、とくに私たちはイエスの人間的な苦しみと試練を考えます。なぜかと言うとその受難は私たち一人ひとりに対する愛の証明なのです。
イエスは最後の晩餐でその時代の弟子たちにも同時に現代の私達にも次のように言われます。
「あなたは私の友です。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)
四旬節の間、新子安教会では金曜日のミサで十字架の道行きの祈りをします。できるだけ与りましょう。意味深い祈りです。
イエス様は信者の生活で3つの行いをすすめています。
- 祈り・・・1日は、1440分あります。その中のわずか3分間、イエスとの親しい話し合いの祈りはどうでしょうか、自分の心のうちをすべて話しやすいイエスに大胆にさらけ出しましょう。
- 断食…普通より少し小さい物を食べましょう。お菓子もお酒も考えましょう。
もし、小さな飢えを感じたら飢え死にしている人のために思い出して祈りましょう。
断食はダイエットと違います。断食は神様に小さな供え物として捧げます。 - 施し・・・自分のわりと恵まれた状態を貧しい人びととわかち合いましょう。四旬節の愛の献金は、その目的です。
皆さん、灰の水曜日から復活祭まで心の霊的マラソンをしましょう!
出発は大事です、千里の道も一歩から始まる。もちろんイエスと一緒にイエスの力に頼って40日間の道のりを走り続けましょう!四旬節の目的地は復活祭です。
イエス様からの復活の希望、喜び、励まし、慰めを豊かにあじわうようにお祈りいたします。




