三位一体

皆さん、三位一体の言葉を読んで難しい教えだと諦めないでください。
まことの神様は、まったく唯一で同時に、その中に『父と子と聖霊』がいらっしゃいます。正直に言いますと私が若い司祭だったころ三位一体について説教することから逃げました。なぜなら三位一体をよく解らないという理由を利用しました。
キーワードは「よく解らない』それは頭の中のはたらきです。三位一体は心の中の愛のはたらきなのです。私は十字のしるしのきり方、また洗礼式の言葉がきれいだと思いました。『父と子と聖霊のみなによって・・・』皆さん、実は三位一体の愛をあじあわないことはもったいないです。私の経験がそれでした。けれど、回心がありました。それにはだいぶ長い年月がかかりました。この回心とは三つの経験のおかげです。

第1の経験は、ある時15世紀の絵を見てその場面の説明を聴きました。

その絵の場面は、4世紀の有名な神学者聖アウグスチヌスが三位一体の説明を考えながら海岸を散歩していると途中で小さな子供に出会いました。その子供は、海岸の砂に小さな穴を掘ってそしておもちゃのスプーンを使って海の水をその穴に入れています。

Benozzo Gozzoli – The Parable of the Holy Trinity

聖アウグスチヌスが「何をしているの?」と聞くと
子供は「この海を全部この穴に入れるつもりです」と答えました。聖アウグスチヌスは「それは不可能だ」と言ったとき子供の姿は消えてしまった。その子供は幼いイエスでした。そのメッセージは三位一体は奥義です。神様の内面的な命だから人間の頭と言葉で説明することはなかなかできません。結局奥義なのです。というのは説明するよりもあじわう方が大切です。

第2の経験は、その数年後のことです。8人の司祭は三位一体の日曜日の後、東京のカルメル会上野毛修道院で黙想会に入りました。
祈りの材料として三位一体の聖書朗読を使いました。一日の沈黙の祈りの後、その晩信仰の分かち合いがありました。
ある神父たちは神学的な話をしていました。その中の一人の神父が次のように熱心な大きな声で言いました「私は奥義が大好きです!」
私たちはびっくりして不思議な沈黙がありました。彼は次のように説明しました。
「私は三位一体を祈ると父と子と聖霊の相互の愛にはいってその愛をあじわいます、神様のあたたかい交わりを感じます、私はそのために三位一体の奥義が大好きです」と。
私はそれを聴いて心の中で大きな響きがあり、心の底から『なるほど!?』と思った。けれど彼の答えを聴いて、もう一つの響きがありました。

それが第3の経験、その6か月ぐらい前に読んだ本の事を思い出しました。
私は『イコンをとおして祈る』という本を読んでいたのです。
その中で15世紀のロシア東方正教会の修道者アンドレイ・ルブリョフ ( Andrei Rublev ) が描いたイコン「三位一体』をつかった祈り方について読みました。

イコンの祈り方は次のようです。

静かな祈りの雰囲気に入ってイコンの場面を想像してその場面をじっと見つめながら三位一体の愛に入ってその愛を心であじわうように。

The Saviour. /Andrei Rublev
158 x 108
The Zvenigorod Deesis.The Tretyakov Gallery.

そのイコンは今月のあゆみの表紙です。

その中で三位一体の代表者として3人の天使がテーブルを囲んで親しくわかち合いをしている様子は非常に優しい穏やかな雰囲気、結局それが父と子と聖霊の間の愛の雰囲気なのです。

わたしたちはイエス様からその愛の家に入るように招待状を受けています。
「わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15・9)
その愛をあじわいましょう。

The Holy Trinity. /Andrei Rublev
142 x 114
The Trinity Cathedral in the Trinity-Sergius Lavra.The Tretyakov Gallery.

私も今では三位一体の奥義が大好きです。
わたしたち信者は唯一の神様を強く信じます。けれど御子イエスの説明によってその唯一の神の中で「父と子と聖霊』がいらっしゃいます。聖アウグスチヌスの霊的数学のように 1÷3 みたいに考えないで、神様の内面的な命、奥義として受け入れて、その愛をあじわって楽しみましょう。確かに平和の心がくると思います。

父なる神様、慈しみ深いアッパは、わたしたちのすべてを知って尚且つ弱いわたしたちをありのままに受け入れてくださいます。それは無条件の愛なのです。

子である神様は人間性をおとりなったイエスです、イエスは人間の弱さを体験なさいましたから近づきやすい方です。弱いわたしたちをありのままに深く愛してくださいます。イエスはわたしたちの友、兄弟、人生の道の同伴者である。

聖霊である神は、わたしたちに力づけ、励まし、導き、照らし、勇気を豊かに与えてくださる、わたしたち皆一人残らず愛してくださいます。
洗礼の時、わたしたちは三位一体『父と子と聖霊』の愛に入ります。その偉大な恵みの深い意味を考えてその愛の中で毎日の生活を送りましょう。

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