司祭 バリー・ケンズ
2016年の 8, 9月号の『あゆみ』でマリア様の7つの喜びについて記事を書きました。そのときにマリア様の7つの悲しみについても記事を書く約束しました。その記事がこれです。
1. シメオンの予言 (ルカ 2・33~35 )
この場面を想像してみてください。エルサレムの神殿です、マリアは生後40日の赤ちゃんイエスを抱いて奉献式に与りました。聖書学者によって赤ちゃんイエスがエルサレムの救いを待ち望む人々のために生まれた幼子であることを話されました。そのころまだ 18,19歳のマリアはイエスにいったいどんな将来が待っているのかと考えたでしょう。神殿のシメオンは予言して「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」( ルカ 2・35 )
母マリアは熱心なユダヤ教の信者でしたから詩編の祈りをよく知り、つかいました。
「神のはからいは限りなく、生涯わたしはそのなかに生きる」( 詩編 139・18 )マリア様は将来を考えて慈しみ深い神様に希望と信頼をおきました。
それは私たちの模範になります。

2. エジプトへの逃避 ( マタイ 2・13 – 23)
マリア様の赤ちゃんは神様からの子供です。けれどもお産の時は綺麗な部屋ではなく隙間風だらけの動物の小屋、柔らかい布団代わりに飼い葉桶の上に薬をのせたものでした。そして主の天使が夢でヨゼフに現れて言った。「ヘロデ王がこの子を探し出して殺そうとしている、すぐ起きて夜のうちに子供と母親を連れてエジプトへ逃げなさい」母マリアはイエスを抱いてヨゼフのロバに乗って遠いエジプトへ逃げました。彼女はエジプトで難民でした、貧しい苦しい生活。バチカン公会議によってマリア様は私たちと同じ人間のように暗い信仰の道を歩みました。人間は度々悩みや苦しみにぶつかると神様に「どうして !? どうして !?」と叫びます。これは人間の普通の反応です。この時もマリア様は詩編を祈ったことでしょう。たとえば「神よ、なぜ遠くに離れ悩みの時に身を隠されるのか」( 詩編 10・1 )
「わたしの神、わたしの神、どうして私を見捨てられるのか。どうして遠く離れて助けようとはせず、わたしの叫びを聞こうとされないのか。」( 詩編 22・2 )
大事なことはその時を祈ることによって神様に対して希望と信頼がうまれること。私たちの模範と励みになると思います。
3. 12歳のイエスをエルサレムの神殿で3日間見失う ( ルカ 2・41 – 52 )
ヨゼフとマリアとイエスは毎年ナザレからエルサレムの神殿まで巡礼に行きました。道のりは193キロで4日間かかりました。昼間は男子と女子と別々のグループで歩き、夜は各家庭でいっしょに食事をしました。帰る途中、夜の食事の時にイエスが見えなくなりました。それまでヨゼフはイエスがマリアと一緒にいると思い、マリアはヨゼフと一緒にいると思っていたのです。私は、ある時大きなデパートで子供を見失ったお母さんが、なりふり構わず泣きながら子供の名前を呼んでいる姿を見たことがあります。マリアは本当に人間的なお母さんでしたから同じようだったと思います。神殿の学者たちの中にいるイエスをみつけてマリアは言いました「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。わたしは心配してていたのです。」するとイエスは言われた「わたしは自分の父の仕事していたのです」
その時マリアは、この意味がわからなかったけど心の中に納めて、それから20年ぐらいあとイエスの復活の時にやっとその深い意味をわかりました。わたしたちが苦しんでいる時 神様の存在とイエスがそばにいらっしゃることを感じませんが確かにいらっしゃいます。神様の言葉「わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない」( 申命記 31・6 )

4. 十字架を背負って死刑場へ向かう途中のイエスと出会う
いくつになっても子供の苦しみは、お母さんの心の中に深く響きます。マリアは33歳の息子イエスの血まみれの顔、いばらの冠、重たい十字架を見て、同時に周りの長老たちの酷いいじめの言葉を聞いました。しかしイエスは親切と思いやりだけを示しました。
この苦しみは不公平、これこそマリア様の心を貫く剣でした。

5. イエスが苦しむ残酷な場面を見た ( ヨハネ 19・26 )
兵隊たちはイエスの手と足に釘をうって十字架に磔ました。マリア様はその金槌の音が心の中に強く響きました。十字架上で3時間もの間苦しんでいるイエスが言いました。「お母さん、これからこの人はあなたの子供です」また わたしたちの代表者であるヨハネに「この人があなたのお母さんです」と言った。その日から彼はマリアを家に引き取った。
いまマリア様はわたしたちの家にいるでしょうか?
6. マリア様は十字架から降ろされたイエスの亡骸を受け取る (ヨハネ 19・31〜37 )
ピエタ・・・ミケランジェロは1499年一つの大きな大理石の固まりから、この有名な場面を彫刻しました。
今、ローマのペトロ大聖堂にあります。その像のマリア様の顔を見てください。( 今月のあゆみの表紙です ) その時マリア様は50歳ぐらいですが、マリア様は苦しみの中でも神様の摂理を信頼していつも若い心をもっていたので、ミケランジェロは、わざと若い顔に造りました。




