1992年アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの司教になりました。その時アルゼンチンの政府は独裁者によって非常に混乱した状態でした。
司教のモットーとして聖書のマタイ9・13徴税人マタイの呼びかけを選びました。モットーは『慈しみの目で彼を見て、選ばれた』これは教皇になった今も同じです。紋章にラテン語で( miserando atque eligendo )と書かれています。
教皇フランシスコは司教の時から教皇になった今も聖木曜日の洗足式は刑務所の中や、老人ホーム、スラム街で人々の足を洗っています。男女問わず、未信者の人も含めてです。2013年全世界の枢機卿は選挙で彼を教皇として選びました。そのとき彼は76歳でした。教皇としてフランシスコという名前を選んだのは彼が初めてでした。イエズス会のメンバーとしても初めての教皇でした。西暦741年から教皇様は皆ヨーロッパ人でした。住む所はバチカンの教皇宮殿ではなく司祭寮の部屋を選んで皆さんと食事をしています。胸におく十字架は金ではなく普通の鉄製の物です。教皇に選出された初めてのあいさつで「わたしのために祈ってください」と集まっていた会衆に頼みました。
わたしたちの教皇様は常に謙遜なお方なのです。
これから教皇フランシスコのわたしたちへのメッセージについて考えましょう。そのキーワードは4つです。
1. 慈しみ 2. 貧しい人々 3. 信仰の喜び 4. 自然を大切に。
1. 慈しみ・・・神は慈しみである。イエスはその生涯の間、人間に対する神様の慈しみを具体的にお示しになりました。教皇様のために神様の掟と正義は大切です。けれども慈しみの方がもっと大事です。わたしたちもイエスの慈しみをあじわいましょう。そのために私たちも慈しみ深い心をもって他の人とわかち合いましょう。教皇フランシスコの具体的な例をみてみましょう。もう一度言っておきますが掟は大事ですが守らない人を裁かないでください。
以前、ある新聞記者が教皇様にこんな質問をしました「同性愛者が一緒に住んでいることをどう思いますか?」教皇様の答えは「彼らを裁く? わたしが!?・・・ とんでもない!?」
ごく最近だと、ある司祭がアメリカのバイデン元副大統領に聖体拝領を断ったことについて次のように言いました「イエスの食卓には、ひとり残らず皆が招待を受けます、とくに私は悪者だと考える人にはイエスの力と寛大さを断らないでください」
2. 貧しい人々・・・この慈しみの実行は、とくに貧しい人々にたいして示しましょう。回勅『福音の喜び』の中で貧しいという言葉が91回使われています。キリスト教信者のため貧しい人々に対する関心と積極的な行動は身分に応じて絶対必要です。「羊の匂いを感じてください」
3. 信仰の喜び「イエスはわたしたちを愛して今もなお生きておられ、日々わたしたちの傍でわたしたちを照らし、力づけ、解放してくださいます」「福音の喜び164』
教皇フランシスコは「ある信者は御ミサからの帰りに悲しいお葬式のような顔をしているのはどうしてでしょうか?」と言いました。信仰の喜びの具体的な例として教皇フランシスコの顔を見てください。彼は非常に重たい問題があっても教会の中の論争があっても、また坐骨神経痛があって歩くことが少し困難であっても彼はいつも笑顔です。
4. 自然を大切に・・・2015年に回勅 Laudato Si’ で教皇フランシスコは
「この世の自然は神から人間に委ねられたものです。
この世の自然はわたしたちの家です。自分自身の家と同じように綺麗に大事にしましょう」
教皇フランシスコは現代のわたしたちにイエスのメッセージを伝えてくださいます。慰めと励ましがいっぱいです。
同時に大事なチャレンジもいっぱいあります。わたしたちは日本に居る教皇フランシスコ本人を見ました。
これから彼のために祈って彼の言葉をよく聞いて実行しましょう !
今年 2025年4月21日、教皇フランシスコは御父の家に帰られました。