司祭 バリー・ケンズ
詩編『主はわれらの牧者』を考えて祈りましょう。この詩編は世界中でいちばん人気のある詩編です。音響の良い新子安の聖堂で『典礼聖歌集123』を皆さんは、いつも綺麗に元気よく歌います。本当にこの詩編は美しい折りで人間の心の中で響きがよくあると思います。詩編 23は旧約聖書ですけれどもイエスは「わたしは善い牧者です」と言ってその詩編を実現しました。ですから、わたしたちがその詩編を祈るとイエスに直接出会うことが出来ます。
先に背景としてイエス様のみことばが大切です。
「わたしは書い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」( ヨハネ 10・11 )
「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」ヨハネ 10・14)
「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出す」( ヨハネ 10・3 )
「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。」( ヨハネ 10・27 )
「見失った1匹を見つけたら、喜んでその羊を担いで家に帰ります。」( ルカ 15・5 )

詩編の主なテーマは個人と善い牧者の親しい交わりとあたたかいつながりです。
問題は私たちが住んでいる横浜は建物ばかり羊が居ません・・・緑の牧場も水辺もありません。
ですから想像するためにこの祈りの美しさと自分の深い関係を理解するためにイエスの時代の羊飼いについて説明しましょう。羊は動物として不思議な動物です。オオカミ、ジャッカル、鷲という天敵に対して自衛力がありません。弱い動物です。また、エサや水辺を自分で見つけることが出来ません、地理も解らない。それらの弱さがあるので羊飼いの見守りと導きに頼っていました。
皆さん、響きがありますか?

イエスの時代、羊の群れは普通10~20頭ぐらいです。そして羊飼いは羊の持ち主の息子です。彼は羊を非常に大切にしていました。羊飼いの道具として、それは面白い形で2mほどある先が傘の柄のように曲がっています。また、鞭やパチンコ ( 狩用 ) も持って天敵から羊を守りました。( 今の司教様は同じ形の杖をもっています ) 子羊が生れた時、羊飼いは可愛いあだ名をつけます。羊は自分の名前を呼ばれるとすぐに羊飼いのもとにとんで行きます。天敵がいても安心を感じています。夜は他の群れと同じ囲いに入ります。
朝、各羊飼いは自分の羊呼び、羊も羊飼いの声を知っていますからすぐ集まって連れて行きます。
詩編23 神はわたしの牧者
- 神はわたしの牧者 わたしは乏しいことがない。
- 神はわたしを緑の牧場に伏させ いこいの水辺に伴われる。
- 神はわたしを生き返らせ そのいつくしみによって正しい道に導かれる。
- 神よたとえ死のかげの谷を歩んでも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしとともにおられ、あなたのむちとつえは わたしを守る。
- あなたは敵の見ている前で わたしのために会食を整え、わたしの頭に油を注ぎ わたしの杯を満たされる。
- 神の恵みといつくしみに生涯伴われわたしはとこしえに神の家に生きる。

これから、詩編そのものを考えましょう。もう一度テーマは 善い牧者イエスとあたたかい親しみ。
まず詩編1節この詩編を共同体として歌うと『主はわれらの牧者』けれど聖書では『主はわたしの牧者』と唱えます。これは個人の祈りです。イエスは寛大な牧者だから私たちは乏しい者ではなくて豊かに恵まれた者になります。
詩編2~4節、現代は忙しい、ストレスの多い社会ですから憩いの水辺が非常に大事だと思います。イエスはその憩いのところまで導いてくださいます。私たちが死の陰の谷を行くとは、心の暗闇、病気、鬱、悪魔の誘惑、失敗、と同じです。その状態になっても希望と信頼をもってください。
なぜかと言うと善い牧者イエスの約束は『わたしはいつもあなたと共にいる』と私たちが人生の道を歩む時イエスがいつもそばにおられます。
本当に善い牧者イエスは共感のある励ましに満ちた同伴者なのです。
そのような暗い心の経験は悪魔の誘惑でわたしたちの敵です。イエスは牧者の杖を使って悪魔を追い払ってくれます。
詩編5節から場面が変わりますが 同じ親しみのテーマです。
イエスはわたしたちのために晩餐、会食を整えてくださいます。
聖書の中でいっしょに食事をすることは神様との親しい交わりの意味です。油を塗ることはその食事に招かれた人にあたたかいもてなしのしるしです。また友情を示すために杯をいっぱいに満たします。イエス様はわたしたち一人ひとりにそのような優しい方です。
最後の6節は慰めと優しさがいっぱいです。善い牧者イエスは、この世にわたしたちのうえに恵みと慈しみをそそいでください
ます。そしてこの世を去って善い牧者の家に入って天国で永遠の幸せをあじわいます。
皆さん、詩編23は詩、ポエムですから想像して祈りましょう。
ゆっくり、凄くゆっくり読み祈って時々ポーズをしてこの素晴らしい詩編の中の善い牧者イエスの親しみをあじわいましょう。





