イエスはわたしたちのためにご自分の命を捧げました

1961年~1963年までの3年間、私は紀伊半島の和歌山県串本教会の主任司祭でした。紀伊半島は台風の通り道です。私が和歌山に居た時にも非常に大きな台風がきました。雨風と波は言葉では言い表せないくらい荒れていました。その台風のさなか潮岬の沖で同じ和歌山の御坊の港から漁に出た船が沈みかけていました。そして漁師さんたちは海へ投げ出されてしまいました。ちょうどその時ノルウェーの石油タンカーが通りかかり救命ボートを下して漁師を助けあげました。けれども一人だけポートに乗れず危険な状態になっていました。するとタンカーから一人のノルウェー人が海に飛び込み、その漁師を助け安全なところへ連れて行きましたが、その瞬間大きな波が来てノルウェー人は荒れた海に流されて命を失ってしまいました。日本人を救うために命を捧げたのです。
御坊の人たち、とくに助けられた漁師とその家族は荒れた海に飛び込んで助けてくれたノルウェー人の船員に対して深い感謝をしみじみ感じました。その感謝の気持ちを具体的に表すためにそのノルウェー人の肖像を刻んだ記念碑を御坊市から少し離れた海の良く見える白崎に建てました。また命日に集まって彼が漁師の命を救ったことを記念しました。
皆さん、素晴らしい命の犠牲でしょう!
皆さんその漁師と家族の心に入ってください、そして彼らと共に感じてください。一生そのノルウェー人に対する感謝の心でいっぱいでしょう。

皆さん、イエスはわたしたち一人一人のためにこの世に飛び込みました。そして私たち一人一人を救うために命を犠牲にして捧げました。イエスの十字架の犠牲のおかげでわたしたちのために天国の門を開きました。パウロの言葉で『我々が義とされた』というのはイエスはわたしたちのために神様との親しい交わりの状態を勝ち得ました。その命の犠牲のおかげでわたしたちは神様に愛される子供になりました。もう一度遠藤周作さんの文章を読んでみてください。


イエス様が最後の晩餐で十字架の命の犠牲を考えて前もってその十字架の犠牲の記念式を定められました『わたしの記念として、これを行いなさい』これは私たちの今の御ミサです。記念式ですが記念碑の前ではなく復活されたイエス自身です。祭壇の上の十字架像を見て御ミサにあずかるとき御坊の漁師やその家族と同じように感謝の心をもつようにしましょう。御ミサは感謝の祭儀です。
これから残っている四旬節の間に十字架像を見てから聖書を開いて御受難の出来事を読みましょう。

そして次の箇所も読みましょう。

  1. キリストはあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されました。( 1 ペトロ 2:21 )
  2. キリストはわたしを愛し、わたしのためにご自身を捧げられました。( ガラテヤ 2:20 )
  3. 大祭司イエスは、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることが出来るのです。( ヘブライ 5:2 )
  4. 事実、イエスご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。( ヘブライ人 2:18 )
  5. 大祭司イエスは、わたしたちの弱さに同情できない方では無く、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。( ヘブライ人 4:15~16 )
  6. しもべ(キリスト)が担ったのはわたしたちの病。彼が負ったのはわたしたちの痛みであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、キリストの受けた傷によって、わたしたちはいやされた。( イザヤ 53:4~5 )
  7. 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。あなたがたはわたしの友である。( ヨハネ 15:13~14 )

今現在、コロナウィルスの事で教会にも来られない、孤立しているこの時期に是非、聖書を読みましょう。
私は皆さんの身体の健康と心の健康をお祈りしています。
どうぞ、皆さん、お元気で。

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