今年3000万人の巡礼者がこの聖なる扉を通る予定です。
また、教皇フランシスコはローマの刑務所で扉を開けて「体に自由はないけれど心の自由をあじわって希望を持ちなさい」と励ましの言葉を言いました。
横浜教区では梅村司教様が山手大聖堂の扉を開きました。
会衆は『門扉を開け』を元気よく歌いました。(詩編24・典礼聖歌158番)
扉を開くということは聖書では深い意味があります。私たちの心の扉の印です。心の扉を開いて「イエス様どうぞお入りくださ「い」と祈りましょう。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録3:20)
皆さん、今年の特別な行いとして心を静かにして祈りの中で「イエス様どうぞ私の心にお入りください、私に対するあなたの深い愛を悟らせてください。弱い私はあなたの力に頼ります。」と祈りましょう。
私たちは人生の道を歩んでいる巡礼者です。今年は自分の人生の歩み方を考えましょう、今までの歩み方はどうだったか、これからはどのように歩んでいこうか。
人生の道の本当の目的地は天国です。今の人生の道を歩んで無事に天国に達することです。私たちはイエス様の愛をあじわうと心の中でキリストの恵である希望がうかんできます。
教皇フランシスコの導きで今年の聖年のテーマとキーワードは『希望』です。希望は神様からの恵みです。
自分の力で経験することはできません。
私たちは希望の心を持つと自分の未来に安全を感じます。なぜかと言うとイエス様と一緒だからです。
イエス様に頼って信頼と自信があります。
イエスは私たちと一緒に人生の道を導いて歩んでくださいます。
聖年のロゴマークを見てください。
イエス様(十字架)につかまり連なっている人々の下には錨 (希望は魂の錨) が描かれています。
「わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものです」(ヘブライ人への手紙6:19)
イエスの私たちに対する愛は私たちの希望の土台です。
また、ロゴマークの中に「希望の巡礼者」と書いてあります。「来月の「あゆみ」で希望について書くつもりです。
最後に聖書のみ言葉、イエスはその予言の実現です。ですから、イエスは私たち一人ひとりに生きている声で言われています。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈りを求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。」(エレミヤ書29)