希望の巡礼者

あゆみ 2025年 3月号

希望の巡礼者の道の『希望』は神様からの贈り物です。希望は恵みです。
これは根本的なことですから希望のために祈りましょう。

希望の恵みは人間の力と能力で作ることはできません。全く与えてくださったものです。そのため私たちは恵みのために祈ります。希望は楽観的な考え方ではありません。
うつに沈んでいた人は希望の恵みをいただくことができます。
希望の恵みは、人間の未来との関係なのです。未来というのは今この生きているわりと短い時間ではなく人間の死んでからの永遠の命に関係するものです。

この希望の土台はイエス様の約束です。
イエス様は私たちに導く大いなる約束をしました。
「わたしはあなたと共にいる、わたしはとこしえにあなたを見守る」

イエス様は私たちに聖書を通してこの約束をしました。
「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘプラ人への手紙13.5)
私たちはイエス様に信頼をおいて人生の巡礼を歩みましょう。

また教皇フランシスコは次のように書きました。
「キリストは今もなお生きておられ、日々あなたの側であなたを照らし、力づけ、解放してくださいます。」(福音の喜び第3章福音の告知164)
また聖書では神のみ言葉でこのアドバイスを与えてくださいます。
「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださったのは真実の方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」(ヘブライ人の手紙10・23)

私たちは弱い人間だから、ある時、困難、痛み、悩み、苦しみ、淋しさ、失望、を経験すると思います。
このような時は希望への呼びかけのチャンスです。
願って祈りましょう。
希望は暗闇の中に光である。これは大きな励ましだと思います。

聖書で希望のシンボルは「錨」です。

「わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものである」(ヘブライ人の手紙6・19)

聖年のイラストを見てください。
わりあい小さな錨でも海におろすと大きな船がしっかり停まります。嵐の中でも安全です。

私のニュージーランドでの経験ですが、ある時友達と一緒に漕ぎ船に乗って海の漁に行きました。
けれども波が高くなって引き潮にのまれそうになりだんだん大きな岩に近づいてしまいました。私たちは慌てて小さな錨をおろしました。するとしっかり停まって安全になりました。
その時のように錨をおろすということは心の嵐の中で希望を見出だすようなものです。

また人生の道は巡礼の道のようです。
出発点はこの世に生まれた時、目的地は死んでからの天国です、永遠の幸福の天国です。
希望をもって明るく、その道を歩みましょう。
希望をいただく祈りは聖書から「主よ、あなたは私の希望です。私の信頼をあなたに置きます。」(詩篇146.5)

そして、この聖書のみことばをかみしめてあじわいましょう
神様はこのように言われます。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる」(エレミヤ書29・11)

皆さん、希望をもって人生の巡礼を一緒に歩みましょう。

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