聖書:エレミヤ33:14-16; 詩篇25; テサロニケ3:12~4:2; ルカ21:25-36
主の光の中を歩もう

待降節という季節は、私達が、世界の長い歴史の中で最も偉大な出来事を思い出す時です。私達の全能である神は、天国の栄光から、人間 – まさに私達と同じような人間となってこの世に下られました。でもこれは単に2000年前の出来事ではありません! イエス様は今も私達と一緒に生きておられます。
「道」という言葉が答唱詩編25に5回でてきます。復活されたイエス様は私達の人生の道の同伴者です。イエス様が私達の傍にいつもいて下さるという意味を深く思い巡らしましょう。それは、私達に大きな希望と励ましを与えてくれることでしょう。
「災害」と言う言葉は殆ど毎日ニュースにでてきます。日本では、洪水や地滑り、地震、そして非常に強い台風があります。又、世界ではウクライナ、ミャンマー、スーダン、パレスチナで戦争があります。日本では物価高が進んでいます。若い人達は、段々少なくなっていってます。これから、どのように高齢者を支えることが出来るでしょうか? 北朝鮮はいつも私達を脅かしています。そして、専門家たちは、南海トラフがもうじき滑って、巨大な地震と津波が起きると言っています。私達は防災避難訓練をしています。つまり!私達の中には不安な気持ちがあります。私達はしばしば、この不安、特に私達の将来についての不安を忘れよう、あるいは抑えようとします。
祈りの中で、正直に自分自身と向かいあいましょう。「イエス様と共に祈る」ということが、非常に大切です。
私達の優しい神様は、(エレミヤの預言を通して)バビロン捕囚で非常に落胆している人々に対して、励ましを与えています。私達の神様は今も私達に励ましを与えて下さいます。
私達の神であるイエス様は、大いなる優しさをもって、私達にいつも贈り物を下さいます。この贈り物は、満ち溢れています。
イエス様は人間性を体験なさいました。ですので、イエス様は私達人間の不安、思い煩いがどういうものかを良く知っておられます。もともとのギリシャ語の新約聖書で、「思い煩い」という言葉は「メリムナ(merimna)」といいます。
イエス様は今日も生きている言葉で私達に言っておられます。「疲れた者、私のもとに来なさい。」(マタイ11章28節)
マルタに(そして私達にも)、「心配事よりも、もっと大事なことがあります。祈りなさい!」と言っておられます。
今日の福音の中でもイエス様は私達に言っておられます。「強くなれるよう、いつも目を覚まして祈っていなさい。」
また、聖ペトロは彼の手紙の中で言っています。「思い煩いは全て、主イエスに委ねなさい。イエス様があなた方のことを心にかけていて下さるでしょう。」(ペトロの手紙一5章7節)
このようなイエス様からの美しい励ましには、私達の答えが必要です!それは信頼、信頼、信頼。
今週、時々詩編25番を読んで祈りましょう。復活されたイエス様は私達の元に来られます。信じて待ち望みましょう―そして祈りましょう。
「主は曙の光のように必ず来られます。」(ホセア書6章3節)