聖書: 創世記 18:1-10 詩編15 コロサイ 1:24-28 ルカ 10:38-42
聖書において、食事、そして一緒に食事をしてもてなすことは重要かつ興味深いテーマです。創世記では、アブラハムは3人に食事のもてなしをしますが、実は彼らは天使でした。これらの天使は、アブラハムに神の心遣いと愛を確信させるために神から遣わされたのです。新約聖書では、マタイと同じように、ザアカイがイエスに食事を提供し、彼らはイエスの友となりました。
今日の福音書では、マルタとマリアがイエスと食事を共にしています。二人はイエスの友人です。
イエスご自身が私たちを食事に招いておられます。その食事で私たちはイエスとの友情を分かち合います。イエスはこう語っておられます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を開けるものがあれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙示録3章20節)
祈りの中で心の扉を開き、イエスを心の中にお迎えしましょう。イエスは親しく信頼できる友です。私たちは祈りの中でイエスご自身に出会います。祈りは、友であるイエスとの対話です。友と話すとき、私たちは他人が書いた言葉ではなく、自分の言葉で話します。イエスとの友情においても同じです。祈ることによって、私たちはイエスと繋がり続け、イエスとの友情の絆は強められます。イエスはこう言われます。「わたしはあなたを友と呼ぶ。」
マルタとマリアはイエスと共に祈っていました。祈りは対話でした。マルタは言葉を使い、マリアは無言の対話をしました。マリアはただ座って、イエスとの友情を楽しみました。
私たちも祈りの中で、マリアのように沈黙する時もあれば、マルタのように言葉を使う時もあります。マルタは自分の気持ちを言葉にしてイエスに訴えました。私たちの心の中で起こっていること、つまり苦しみ、心配、問題、決断、空虚、怒り、誘惑などは、祈りの材料となり得ます。私たちは、耳を傾け、信頼できる友であるイエスに、これらの思いを分かち合います。
先週の読売新聞に「子供たちに正しい睡眠をとってもらうために、厚生労働省が、ポケモンのキャラクターであるピカチュウとカビゴンを睡眠大使に任命した!!」という興味深い記事を見つけました。確かに子供たちの睡眠をサポートしてくれるかもしれませんが、もっと良い方法は「夕の祈り」です。今週のお知らせの裏面には、夕の祈りのサンプルが掲載されています。ゆっくりと考えながら唱えることもできますし、自分の言葉で夕の祈りの手本として使ってみるのも良いでしょう。
イエスは私たちの友になりたいと願って、私たちの心の扉の前に立っておられます。私たちも扉を開けて、友であるイエスのお招きに応えましょう。