聖書:ゼファニヤ3:14-18; イザヤ12:2-6; フィリピ4:4-7; ルカ3:10-18
喜びなさい 主はすぐ近くにおられます
今日の典礼では「喜び」という言葉が15回も使われています。例えば第1朗読:喜びなさい。神は私たちの中におられる(ゼファニヤの預言)答唱詩篇:喜び歌え。聖なる方は、あなたがたの真ん中におられる(イザヤ書)第2朗読:喜びなさい。主はすぐ近くにおられる(フィリピの教会への手紙)

喜びとは何でしょうか? 私たちはどのようにして喜びを味わうのでしょうか?
ここで、私自身の話を少しします!中学の時、私の試験の成績が最高だったのは木工で、最低だったのは数学でした!神学校では2年間哲学を学びましたが、私にはとても難しかった。私は理論的にではなく、具体的に考える傾向があるようです!ですから、今日の説教を考えるとき、私は最初に次の様に自分に問いかけました:「私が知っている、信仰の喜びを持っている人は誰だろうか?」すると、すぐに、藤沢教会の信者の一人が頭に浮かびました。今は亡き、Y・・さんです。Y・・さんは、日曜日のミサに車椅子で来ていました。Y・・さんは足に痛みをかかえ、車椅子はとても不便でした。それでも、Y・・さんはいつも、会う人会う人に笑顔を見せていたので、皆、彼女に会うと喜んでいました。喜びに満ちたY・・さんの、その喜びが、皆に伝染していったのです。
ある日、私はY・・さんに、なぜいつも笑顔で人に接することができるのか尋ねました。するとY・・さんは私の質問に考えをめぐらしてから、30年たっても決して忘れられない、こんな答えを返してくれました。その答えはこうでした:「そう、私の足は痛いんです。でも、私は、その痛みをイエス様の苦しみと重ね合わせているんです。そして、ほかの車椅子の人や苦しんでいる人を助けようと思うのです。そのような人たちに対して、私は多く語るわけではありません。ただ、その人たちと一緒にいて、思いやりを持つようにしています」。
Y・・さんの返事は、「信仰の喜び」の意味を教えてくれます。彼女の言葉は、アッシジの聖フランシスコの祈りと響き合います。「主よ、私をあなたの平和の道具としてください・・・(人から)慰めを受けるよりも、(人に)慰めを与えることができますように・・・。」
でも、Y・・さんの答えで、祈りにでキリストと結ばれた方法が、とてもとても重要なのです。信仰の喜びは人間の努力だけでは得らません、神様からの恵みなのです。皆さん、この恵みを求めましょう。
聖パウロは今日の聖句(フィリピの教会への手紙)でこう語っています:「主にあって喜びなさい。心配する必要はありません。必要なことがあれば祈りなさい。主はすぐ近くにおられます。」
だから、イエスからの賜物である喜びを求めて祈りましょう。そして喜びを分かち合いましょう。マザー・テレサの次の言葉の様に:「笑顔は平和の始まりです。」さあ、平和の運動を始めましょう!