聖書:マラキ3:1-4; 詩編24; ヘブライ2:14-18; ルカ2:22-40
主よ 今こそあなたは このしもべを安らかに去らせてくださいます

聖書や私たちの典礼では、「捧げる」、「ゆだねる」、「託す」という言葉が使われます。今日の福音は、イエスの母マリアが幼子イエスを神に捧げた日について、です。私たちの教会の正面には、聖書朗読台と聖餐の祭壇があります。ミサに出席するとき、私たちはどのような態度で臨むべきでしょうか。一言で言えば、耳を傾け、捧げることです。
先週、私たちは神の言葉について考えました。朗読される聖書は、神から私たちへの生きた声のメッセージです。よく聞きましょう。耳を傾けて聞きましょう。今日は聖餐の典礼について考えましょう。私たちはミサで、最初のミサである最後の晩餐でのイエスの言葉に従っています。イエスは私たちのために、ご自分の死を記念し、忘れられないようにしました。イエスの言葉です:「私の記念として、これを行ないなさい。」イエスは生涯を通じて、父なる神にご自身の人生を捧げ、私たちのためにその命を捧げました。イエスはよく詩篇31を祈りました。十字架上で死に瀕している時にも、詩篇31を祈りました。「父よ、私の霊を、み手に委ねます。父よ、私の命を、み手に委ねます。」ミサに出席するとき、イエスと共に神に自分自身を捧げる態度を持ちましょう。ミサに臨むとき、自分自身にこう言いましょう。「イエスよ、私はあなたと共に、今週の私のすべての行いを神に捧げます。」
「私たちのすべての行い」とは、すべてを意味します。会社や職場での日々の仕事、家庭での作業、家事、調理や掃除、学校での勉強、娯楽、テレビの視聴、スマートフォンの使用、喜びや苦しみ、睡眠など、そしてもちろん祈りです。一言で言えば、私たちの人生です。
このような捧げ物は、ミサに深い意味を与え、私たちの日常生活に特別な味わいを与えます。
しかし、自分自身をこのように完全に捧げるには、私たちが誰に捧げているのかを思い出す必要があります。なぜなら、そのような捧げ物をするには信頼が必要だからです。私たちは、私たち人間の人生を支えるイエスと一体となって、自分自身を捧げているのです。私たちはイエスと一体となって言います:「父なる神よ、私はあなたに私の人生を託します。」神は優しく、親切で、思いやりがあり、私たち人間の弱さを理解しています。神は本当に私たちを愛しています。ですから、私たちは日々の生活を神に委ねることができるのです。
イエスと一体となって神に自分自身を捧げる姿勢は、イエスに従う私たちの生活において、とてもとても重要です。ですから、ミサや毎朝、神にこう言いましょう。
「神よ、あなたの手に私の人生を捧げます。」