聖書:申命記26:4-10; 詩編91; ローマ10:8-13; ルカ4:1-13
回心して福音を信じなさい
神はわたしたちののがれ場 わたしたちのとりで わたしは神に寄り頼む
今日の聖書の言葉は私たちに挑戦を促すとともに、勇気、励まし、そして支えも与えてくれます。
私たちは額に灰を塗ります。これは、私たち人間は皆、死を迎えなければならないという、厳しくはっきりとした警告です。しかし、注意してください。暗い考えを心に抱かないでください。灰が塗られるとき、祈りの言葉として「回心して福音を信じなさい」と唱えます。福音とは、神が私たち一人一人を愛し、大事に思い、導いてくださるということです。私たちは神の愛に包まれています。

四旬節の初めに、イエスと共に謙虚に、そして正直に自分自身と向き合いましょう。私たちはそれぞれ死ななければなりません。しかし、私たちの死は新しい命、つまり永遠に続く幸福への入り口にすぎません。自分自身に次の質問をしてみましょう。
「私はどこから来て、どこへ行くのか? この人生の道の目的地はどこなのか? 私は今、天国に無事にたどり着けるような生き方をしているだろうか? その目的地を見失っていないだろうか? 意識的に現実と向き合うことを避けていないだろうか? 私は物質的なもの、出世、楽な生活のどれかを重視していないだろうか?」
この世のものは一時的で過ぎ去るものなのです。さて、イエスが私たちに与えてくださる素晴らしい励ましと支え、勇気と愛について考えてみましょう。
今日の聖書はこう語っています。「主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げをご覧になり、力ある御手と御腕を伸ばして私たちを助けるのです。」(第一朗読、申命記26:7より)
そして今日の答唱詩篇第91篇にはこうあります。「呼び求める者にわたしは答え、悩みの時ともにいて、救いと誉を与えよう。」
私たちは神について「慈しみ」という言葉をよく使います。この言葉は神が私たちとともにあるという意味です。
人生の道において、私たち人間は苦しみ、悩み、痛み、誘惑に遭遇します。福音書には、空腹で弱り果てたイエスが描かれています。イエスは悪魔から酷い誘惑を受けます。権力を行使したり、名声を得たり、人々の前で劇的なことをすることへの誘惑です。イエスは神の力を天国に置いて、私たちと同じ100%の人間になりました。イエスの苦しみと誘惑は本物であり、薄っぺらで表面的なものではありません。ですから、私たちは信頼を持ってイエスのもとに行くことができます。なぜなら、イエスは私たちと同じように苦しみ、誘惑を受けたからです。イエスは私たち人間を理解し、愛しています。
この四旬節に、祈りの中でイエスのもとに行き、イエスに会い、イエスの慈しみを味わいましょう。