聖書:創世記15:5-18; 詩編27; フィリピの教会への手紙3:17-4:1; ルカ9:28-36
これは私の愛する子 これに聞け

自分の経験から、二人の人についてお話しします。一人目の人は私に約束をしてくれました。その約束を彼はどんな状況でも守ると私は分かっていました。信頼できる人でした。二人目の人も約束をしてくれましたが、その人にとってもっと興味深いことがあると、約束は破られました。わたしはその人を信頼することができませんでした。
私たちを創り、愛してくださる神様は、私たち一人ひとりに約束をしてくださいます。神様は誠実で、どんなことがあっても必ず約束を守ってくださいます。私たちは、この愛である神様を信頼することができます。
神様が初めて人間と約束を交わしたのは、アブラハムとの間でした。それは今から3,500年前のことです。神様はアブラハムとの約束を血がいっぱいの儀式の中で行われました。それは、神様の約束の重要さを示すためでした。神様がアブラハムにした約束はこうです。「私はいつもあなたと共にいる。あなたを守る。」神様はこうもおっしゃいました。「私はあなたの盾となる。あなたの守護者だ。」
イエスは最後の晩餐でこう言われました。「これは新しい、永遠の契約の血である。」洗礼を受けたとき、キリストの教会を通して、父である神様は私たちに次のように約束されました。「あなたは私の子であり、私はあなたを愛している。生涯を通して、いつもあなたのそばにいて、導き守る。」
実際、この聖書の約束は「契約の約束」と呼ばれています。それは、相互的、つまり双方向の約束を意味します。わたしたちは神様に対し次のように約束をします。「わが神、あなたの愛が私を包みます。私はあなたを信じます。私の生涯をあなたの御手にゆだねます。」
今日の詩編27編の答唱詩編は、神様の美しい約束に対する祈りの返答です。この詩編の祈りでは、神様とその愛をさらに深く知り、その愛と約束に応える祈りをします。イエスが完全に人間であったこと—地上で33年間過ごされた—その意味を深く理解すればするほど、イエスへの愛は増すでしょう。イエスは、ファリサイ派が自分を殺そうと計画していることを知っていました。人間としてイエスは恐怖を感じました。その時、イエスは何をしたでしょうか? 静かな場所に行き、父である神に祈り、勇気と導きを求めました。父はイエスと3人の弟子たちにこう言われます。「これは私の子選ばれた者」山の上で、イエスは栄光に包まれた姿を3人の弟子に見せられました。この3人の弟子は、ゲッセマネの園で苦しみの暗闇の中にいるイエスの姿を見ることになります。私たちが恐れや痛みに出会うとき、静かな時間をつくり、神様に力、導き、励ましを求めましょう。父である神様が私たち一人ひとりに、いつもそばにいて守ってくださるという固く確かな約束を思い出しましょう。
神様を信頼しましょう。神様は必ず約束を守られます。