聖書:出エジプト記3:1-15; 詩篇103; コリント10:1-12; ルカ13:1-9
神は恵み豊かに憐み 深く怒るにおそく 慈しみ深い
皆さん!あなた達は毎日の生活を味わい深いものにしたいですか? 私達は毎日を、味わい深く、意義深く、勇気をもって暮らすようにしましょう。そのような意義深い生活を経験するために、毎日神様にある時間を捧げましょう。私達は祈りの中で優しい神様に出会いましょう。
けれど、私達の神様は一体どういうお方でしょうか? 神様は遠い存在ですか? 神様は私達人間に関心を向けているでしょうか? 私達一人一人に対する態度はどういうものでしょうか?
今日の出エジプト記からの朗読で、牧者モーセは羊と一緒に寂しい場所にいます。モーセは柴の真ん中に炎を見ます。モーセは好奇心をもって柴に近づきます。すると、柴の中から神の声が聞こえます。神様は名前で呼びかけます。「モーセよ、モーセよ、」
これは古代の歴史的な出来事です。けれど、私達の神様は変わらない方ですから、今も、神様は私達一人一人を名前でお呼びになります。この偉大な出来事を深く思い巡らしましょう。このメッセージはイザヤ43章でも神によって繰り返されます。そして、イエス様も同じように言われます。「私は羊をそれぞれの名前で呼んで連れ出す。」(ヨハネ10章4節)私達一人一人が神様にとって特別なものです。
神様はご自分の名前をモーセにお知らせになります。「私はある」私達の神様はいつも私達と一緒におられます。イエス様はその名前を私達に告げられました。私達は祈る時にイエス様を名前で呼びます。

お互いの名前を分かち合うこと、そして互いを名前で呼び合うことは、神様が私達との親しい交わりを望んでいらっしゃることを示しています。祈りの中でその親しみを味わうことをしないとしたら、なんと勿体ないことでしょう。
けれど、モーゼの場面の中に、面白い記述があります。神様はモーゼに自分の靴を脱ぎなさいといいます。これは、神様との関係において、尊敬と敬意がいつも必要とされているということを象徴的に私達に伝えています。親しみと尊敬の調和が大事です。調和!調和!調和!
答唱詩編103番に「神は恵み豊かに、あわれみ深く、怒るにおそくいつくしみ深い。神を敬う人の上には。」とあります。
福音は私達に面白いたとえ話を与えてくれます。たとえ話を聞いたり読んだりしたら、その後に、自分自身に向かって「私にとってどういうメッセ―ジがあるのだろうか?」と問うてみましょう。
ある農園主がいちじくの木を植えたが、少しもいちじくの実がならないので、園丁に「この木を切り倒しなさい、役にたたない。」と言います。でも園丁は、「どうぞ1年間切らないでそのままにしておいて下さい。私がよく世話をして、肥しをやってみましょう。そうすれば、イチジクの実がなるかもしれません。」と言います。
このメッセージは、「私達の神様は決して罰する神様ではない。私達の理解に満ちた神様は忍耐強く、私達がご自分のところに戻ることを待ち望んでおられる。」ということです。
四旬節は神様と深く出会う特別な季節です。神様は私達を待っておられます!さあ、祈りの中で神様のもとに行きましょう。祈りの中で私達は、神様と出会い、神様との温かい交わりを味わうことが出来ます。イエス様は私達に今も「私の元に来なさい」と言っておられます。