聖書:使徒言行録 10:34-43; 詩編 118; コロサイ 3:1-4; ヨハネ 20:1-9
私たちの新子安教会の階段の踊り場の壁に、復活したイエスが光を放っているポスターが貼ってあります。そこには「キリストは生きている」と書かれています。復活とは、十字架の上で死んだ後、イエスは今も生きているという意味です。また、イエスが今、横浜の私たちの家庭や職場で共に生きておられるということも表しています。
神の御子であるイエスは、私たちと同じ人間になられました。イエスは地上で33年間、私たちと同じように人間として生活されました。しかし、それは遠く中東の国、イスラエルでのことでした。福音書を読むと、イエスが親切で思いやりのある方であり、喜びや成功、苦しみや失敗において他者と共感される方だったことがわかります。今日、私たちは同じイエスと出会い、同じ思いやりを感じることができます。復活したイエスは生きておられ、今も私たちと共におられます。イエスが地上で語られた最後の言葉は、「私はいつもあなた方と共にいる」でした。これが復活の意味です。

教皇フランシスコは、「信仰の喜び」という本の第116講において次のメッセージを書かれています。「復活したキリストは私たちの人生の道を共に歩んでくださる。キリストは私たちに導き、力、そして自由を与えてくださる。」教皇フランシスコはこれを「ケリュグマ」と呼んでいます。これは教会で何世紀も使用されてきた特別なギリシャ語で、私たちの信仰生活の核心を表しています。
復活したイエスは、私たちの人生の道を共に歩んでくださる同伴者です。その教えは、私たちに励ましと力を与えてくれます。
復活後、墓の前でイエスはマグダラのマリアに「マリア!」とその名を呼ばれました。同様に、復活したイエスは私たち一人ひとりの名前を呼び、そばにいてくださいます。イエスは私たちと個人的な関係を築きたいと望んでおられます。それは愛、友情、信頼、そして温かい会話の関係です。
今日の第一朗読(使徒言行録10章)では、ペトロがイエスの生涯を要約しています。ペトロは、復活したイエスが幽霊ではないことを述べています。なぜなら、イエスは弟子たちと一緒に食事をされたからです。幽霊は食べ物を食べることができません。
第二朗読(コロサイ教会への手紙3章)では、パウロが「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」と述べています。これは、24時間神聖なことだけを考えなさいという意味ではありません。日々の仕事や生活をイエスと共に、イエスの導きに従って行うことを意味しています。
この教えを実践するために、毎朝短い祈りをすることをお勧めします。言葉は自分自身のもので大丈夫です。 例えば、こう祈ることができます。「イエスよ、今日も私と共に歩んでください。今日の私の行いすべてにおいて、導きとお守りをお願いします。今日の私の人生をあなたの御手に委ねます。アーメン。」
復活したイエスは、今も私たちと共に生きておられます。