聖書:創世記 14:18-20; 詩篇 110 ;1 コリントの教会への手紙 11:23-26;ルカ 9:11-17
「イエスの食卓に招かれた者は幸い」
聖餐式の中で、復活したイエスには、いろんな側面があります。例えば、私達の教会の聖堂の中で、一番中心にあって重要なものは、「祭壇」とか「食卓」と呼ばれているものです。それは言い換えると、私達のごミサは、神への生贄、捧げものであり、また同時に食事でもあると言えます。
今日、私はこの生贄という面、そして私達自身が神への捧げものであるということを思いながら、主の食卓での食事としての聖餐式について皆さんにお話ししたいと思います。私達はご聖体を戴く前に、「イエスの食卓に招かれたものは幸い。」と言います。最近、私はごミサの準備の為に聖堂に入る時、イエス様に「私はこれからあなたと食事をするためにきました。」と言います。
最初のごミサ、最後の晩餐で、イエスは弟子達に、そして又、今日の私達にも、「私はあなたを友と呼ぶ」と言います。この友情は私達のミサにとって大切です。福音の中で、私達は、イエスが色んな人達と食事を共にして、その人達と親しい友達になるのを見ます。イエスはザアカイと彼の家族と一緒に食事をして親しい友達になりました。イエスはマタイや、他の徴税人達と一緒に、友情に満ちた食事をしました。又イエスは、ラザロと妹のマリアと一緒に、マルタが料理した食事を静かに食べました。復活されたイエスは、ペテロと一緒に朝食をとりました。その食事は、愛と励ましと赦しに満ちていました。イエスは自分で魚を焼いて食事を準備しました。又イエスは結婚したばかりの夫婦と一緒にカナで食事をし、彼らに一番上等な葡萄酒を与えました。そして、亡くなる前の夜、イエスは弟子達と一緒に特別な食事をしました。その食事で、イエスは「私はあなた方を孤児にはしない。」と言われました。イエスはパンをとって「これは私の体である。」と言いました。イエスが言われた「体」とは、イエスご自身を意味しています。そしてイエスは続けていいます。「これを私の記念として行いなさい。」
全ての食事において、イエスは人々皆に対して温かい友達です。イエスは今日、私達にも同じ温かい友情、同じ親しい交わりを与えて下さいます。
イエスは、5つのパンをとって、5000人の男たち、そして女性と子どもたちにも与えた時、自然の上に権威を持っていることを示されました。神様としてのイエスは、「これは私の体である」という時に、パンに対しても同じ力を持っておられます。皆さん、イエス様が私達一人一人と友達になりたいと思っていらっしゃるのを決して忘れないようにしましょう。
ご聖体をいただく時、友達としてイエス様を自分の心の中に受け止めることは、不思議な結果をもたらします。私達は力、強い希望と励まし、そして全ての愛を戴くことができます。
「イエスの食卓に招かれた者は幸い」