聖書朗読:創世記18:20-32 詩篇138 コロサイの教会への手紙2:12-14 ルカ11:1-13
私は「祈り」という本、信頼できるロナルド・ローハイサーが書いた本を持っています。その本の中で、彼は祈りの最初の歩みは神様への時間を捧げることだと言っています。ですから、祈る時は自分で時間を決めて、それから祈るようにしましょう。
そして彼は、私達の頭も心も神様に向けるようにと勧めています。ですから、イエス様に「主よ、私に祈りを教えて下さい。」と言いましょう。(今日の福音)祈りは神様からの恵みです。私達人間は神様のために時間を作って、神様はその間に働くことが出来ます。
祈りは神様とのつながりです。この繋がりはどう言葉を使って言おうかということを考えるよりも、ずっと大事です。
聖書の中には、温かい繋がりをもって神様と話す人物の例があり、そのように神と話しているのが、今日の創世記におけるアブラハムです。アブラハムは謙遜と尊敬をもって神と話し、その上にはいつも温かい友情があります。新約聖書の中にも「アブラハムは神様の友であった」とあります。(ヤコブの手紙2章23節)友達というのはお互いに話し合います。もう一つの例はモーセです。「主は、人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」とあります。(出エジプト記 33章11節)
新約聖書の中で、私達はイエスがサマリアの女性と井戸の所で長く、面白い会話をするのを見ます。これは井戸端会議の話です。(ヨハネ4章1-30節)この対話は温かく、理解に満ちた愛の雰囲気を描いています
又、イエスはマリアとマルタの友達でした。イエスはその二人に話しかけ、彼らもイエスの友達のように話します。(ルカ10章38-42節)
イエスは私達の友達です。「私はあなたを友と呼ぶ」(ヨハネ15章15節)
今日、私は自分の祈りについて、皆さんと分かち合いましょう。ある時、私は自分が神様、私のお父さんの愛されている子どもだということを思い浮かべて、神様を「アッバ(お父ちゃん)」と呼びます。そして、聖霊に、イエスが私達に与えて下さったこの言葉の意味を悟らせて下さるようにと祈ります。愛、受け入れること、信頼、それが答えです。アッバという言葉は、愛に満ちた温かい繋がりを示します。ほとんど私は祈りの中で、友であり、兄弟であるイエスと話し合って、そして聞きます。私はイエスからの祈りへの招き「疲れたもの、重荷を負うものは誰でも、私の元に来なさい。」ということを思い起こします。(マタイ11章28節)
疲れた時や、ストレスがある時、私は嵐の中で沈みそうになっているペテロの気持ちに入って、叫びます。「主よ、助けてください。私は沈みそうです」(マタイ14章30節)
ある時は、私は詩編27を使います。「主、イエスよ、私にあなたの愛を示して下さい。私からあなたの顔を隠さないで下さい。」と祈ります。